お久しぶりです。妻です。

前回の予告通り、今回は古い勉強机について綴りたいと思います。

 

私の部屋には、前の記事でとりあげたテーブルの他にも

古い古い家具があります。

 

いえ、ありました。

様子はこんなものでした。

 

 

 

 

だーーーいぶ、年季が入ってますね。

前の住まいで撮影したものです。

これは、約45年前くらいに私が小学校に入学するというので

祖母が買ってくれた勉強机です。

むかしはこう、パタンとテーブル部分が仕舞える構造になっているものが

よく売っていたのかもですね。

 

同じ祖母が買ってくれた弟の机はそのまま使うタイプでしたが

私のはこの開閉式でした。

 

閉まったところを撮影してないじゃんww

これじゃわからん。

 

 

 

はい、パタン。しめました。

 

2枚目の写真の色の違いにびっくりされている方が多いかもしれませんね。

ええ、家具屋さんに頼んで修理&塗りなおしをしまして。

 

 

 

 

この後、足利市の新しい住まいにこのまま持って行って使っています。

開閉式がすごい便利でね。中のものが埃が乗らないんですよ。しまえるから。

 

引越しを機に、この机をどうするか。

誰が見ても、前の机は「これを機に処分されては…。」と思いますよね。

でも、この机じゃなきゃやっておれんわ!という案件に

私の脳内会議が可決しまして。

まあようするに、踏ん切りがつかなかったというわけですw

 

そりゃあね、お金かかったわよ。

長い間守ってきた虎の子を出したわよ。

でもね、この机だってもう付喪神がついてるレベルだと思うんですよ。

手放せませんでした。

 

こうなったら一生をともにしましょう。私の残り時間も45年くらいかしら。

そしたら中間地点です。もう一回ボロボロになるまでご一緒しましょう。

 

そんなわけで、色指定は自分でしました。

広告制作の仕事での色指定経験がここで役に立つとは。

本物の広告への色指定は、広告代理店などで色彩番号を指定しますが

このときは、コピックにてコピック専用紙に塗っておき

家具屋さんがもってきた色見本帳で近い色を指定しました。

 

 

 

取っ手の部分は2色にするのは困難と言われてしまいましたが

おおむね、思った通りで合っていたかと思います。

この絵だとブルーっぽいですが、実際の仕上がりの色で正解です。

 

どうしてこの色にしているかというと

新居の私の部屋に搬入することになっていて

その壁紙の色とあわせました。

 

 

現在の姿です。もういろいろ詰まってますがそれはさておき

ペールブルー+ラベンダーの壁紙と、床板と天井の色味に合わせた形になってます。

ちなみにこの壁の向かい側は巾木まで白で統一しています。

※窓の景色は消させて頂きました。

 

 

実は、この家は諸事情により

完成してから引越しまで1年弱くらい間があったので

その間、住宅展示場(オープンハウス)としてハウスメーカーに貸していたのですが

ハウスメーカーの営業さんは、案内したお客さんに

「ここは子供部屋ね?」ときかれても

なんとか話しを逸らしていたそうですww

そりゃ50代女性の部屋の色合いじゃないよねぇ笑い泣き

 

 

心のどこかに少女時代を置いてきてしまった中年女性が

「自分の部屋を好きに作ってハウスメーカーに注文していい」という

状況に置かれた場合、こうなるようですね。いやはや。

部屋の大人買いですね。違うかニヤニヤ

 

あれだ。クリィミーマミちゃんに色合いが似てる。

あと、それより少し色が濃いけどセーラームーンの画に使われていた色味に似てる。

女児だ…私の心の奥のほうに女児がいる…凝視

 

ま、どの女性の奥底にも女児はいるのかもしれないけどね。

そういうわけで、今、二番目に古い所持品はこれになりますかね。

トップは前の記事のダイニングテーブルね。

結婚直前のときの父が買ったから私が生まれていないし。

あれには負けるわね。うん。

 

というわけで、新しいものと古い物が両極端に同居する私の部屋が完成しました。

これからここでお婆さんになっていきたいと思います。

そう、この色調の中でひっそりと(笑)

 

リアルお友達になってくれた人が遊びにきてくださったら

ぜひともご案内させていただきたいです。

うわー女児部屋だー!ってなると思います(笑)

反応がたのしみてへぺろ

 

 

それでは本日はこのあたりで。

寒さひとしおの時季ですね。お身体ご自愛お互いに☆

よいお年をお迎えくださいませ。

 

BAX

さて、この流れでどうやって後半に繋ぐかと申しますと、なかなか無理がありますね😆

前編でお伝えしていたように、私としては今年の再生回数一位は「私の夏」かなと思っていました。ブログをお読みの方は、「渡良瀬橋」と勘違いしてないか!と突っ込みがきそうですが😁

いえいえ違うんですよ😃「私の夏」なんです🎵


そもそもがこの曲が発売になった頃、全日空の

キャンペーンソングという認識もなく、CMで

聴いたことあるなあ位のこれまたぼやっとした

認識程度で、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。


それではどの段階で私の中で覚醒してきたかというと、初ライブ参戦前にセトリを教えて頂いた

中に「私の夏」が入っていました。セトリ曲を

ライブの流れ順に1曲目からYOUTUBE で通して聴いていたのです。そこで「私の夏」のイントロが

かかった時の衝動は、今でも覚えています🎵

シンセの開放感溢れるサウンドからぐんぐんと

引き込まれていき、これは早くライブで聴きたいとなっていきました☺️

私の夏は、振り付けがあるわけでもないので

純粋に曲の世界に没入できそうだし、初ライブで

聴きたいナンバーワンソングになりました🐱


迎えた5月3日渋谷LINE CUBEでの森高さん初ライブの当日は、ついに生で「私の夏」を聴けるというワクワク感で朝からウキウキでした😃🎶

ライブで「私の夏」のイントロが流れてきた

瞬間から心の中でキター‼️とガッツポーズを

していました👍️曲が終わった後には、ついに聴けた嬉しさと、明るくて切ない曲の世界観に入りきり堪能したことにより涙腺が緩んでしまいました😢 ライブ終わって数日してから、「私の夏」の

ような明るい曲で泣けてしまうのは、どういうことかと急に気になりました。この曲は、全編を貫くシンセサイザーの音色が当時のJ-POPサウンドの象徴であり、懐かしさを助長しているように思えたからです。イントロのシンセサイザーのブラスサウンドから私は、見事にこの曲の虜になってしまっていたのです✨





渋谷のライブの後からは、「私の夏」を聴く回数が多くなり、いつのまにか自分の中の森高さんの

テーマソングといえば「私の夏」になっていたのです🌴

今回のブログのタイトルになっている青春回帰思考は、まさに森高さんのことです🍀

今、森高さんの昔の曲を聴きますと、思い返されるのは高校生の頃の当時の甘酸っぱい思い出がよみがえってきます😅


私の気質として、未来と今しかベクトルが無いので振り返りは全くしないのです。

ですが、不思議なことに森高さんを聴くと、昔を懐かしむわけではないのですが、その頃の記憶と

匂いがよみがえってきます。

これは世代感ということなんですかね。

とにかく今はそれが心地よいです👍️

その一言に尽きますね✨



青春回帰思考に関して前編・後編と綴りましたが、結論として、今も楽しければ良いですし
昔はその時の思い出や良さもあるんです☀️
音楽の良さは、そんなところにもありますよね🎵








いきなりですが、ブログをご覧になっている方に

お尋ねします。


私のSpotifyの再生回数ランキング1位は、何だと

思われますか?

多分、私Xのポストを見ている方はSuperfly か

森高さん辺りじゃないだろうかと95%位の方は

思われていると思います。


実は、両方共に違うんです😉

今年のNo.1は、グリーンアップルさんの

「青と夏」でした🎵


私の予想では、Superfly 「僕のこと」か森高さんの「私の夏」のどちらかがNo.1になると思っていたので、若干の驚きがありました😲


ちなみに、Superfly の「僕のこと」は、2位でした。森高さんの「私の夏」は4位という結果でした。


グリーンアップルさんの「青と夏」は実は昨年も

かなり上位に入ってきておりまして、私がグリーンアップルさんを好きになったきっかけの曲でも

あるんです😃


「青と夏」の魅力を語らせたら止まらないのですが、それは別の機会に譲るとして、イントロの

疾走感溢れるギターフレーズからして、もうドキドキを感じさせてしまいますね😍💓

もうある意味全編サビと云っても過言ではない程のフックの強いメロディーラインは、グリーンアップルさんの代表曲の中においても特筆すべき

ものがあります。


映画のような物語では無いけども、「現実」の

青春こそが素晴らしいと歌われています。

青春や移ろいやすさや切なさという部分が青と夏という歌詞に象徴されているように私は思っています☺️

とびきりキャッチャーなメロディーで歌われると

若かった頃の懐かしい思い出がよみがえってきますよ🌞


今も昔も内面は変わってないと思ってはいるものの実年齢を思うと、昔を懐かしむ機会が昨年辺りから増えてきているように自覚しています。


グリーンアップルさんのような若手のbandを聴くようになったのも私にとっては意外なことでした。しかも同性のアーチストというのも、最近の

私にとりましては意外なことかもしれません。

結婚後の私を知っている妻からは、本当に驚かれます。


グリーンアップルさんの山下埠頭のライブビューイングを映画館で見ていますが、お客さんの大多数が中高生の方、まさにリアル青春時代を過ごしていらっしゃる方々に紛れて😅50オーバーの男性がボッチ参戦もシュールな感じですが、良いんです😆気持ちが若い頃のままであること、これ

は大事なことかなあと思ってたりするんですよ☺️

そんなことを彼らは気付かせてくれたのかなと

思っています😃

ついに行かせて頂きました!


聖地・渡良瀬橋に満を持して行かせて頂きました☺️


この日が来ることを横浜に居た頃から本当に

楽しみにしていたんです。


渡良瀬橋に来させて頂くことをモチベーションに移住準備をしてきました。


そして、足利移住日の11月17日より渡良瀬橋に

行くことを楽しみに過ごしていました。


なかなか移住後落ち着かない日々の中で、本日12月8日は足利の気温も非常に高く、風も無く絶好の

渡良瀬橋日和だとの直感も働きまして

行かせて頂きました☀️


満を持しての思いは、森高さんへのリスペクト

の意味を込めてスニーカーを新調しました👟

聖地に足を踏み入れるには、新品の靴で

臨ませてもらいたいと考えました。


渡良瀬橋周辺は、敬愛する森高さんの息吹が

宿るエリアです。森高さんに対して自分なりに

真摯に向き合えることは無いものかなあと考えた

結果です。


新居から渡良瀬橋まで片道30分の道程です。

この30分が何とも愛おしい時間でした。

30分後には森高さんの息吹のする渡良瀬橋近辺

に行けるという、何か初恋の人に合いに行くような感覚でしたね😆


渡良瀬橋行く道中は、子供の頃から勝手知ったるエリアであり、移住後も足を伸ばしているご近所さんです。


物心ついていた時には、父が運転でおばあちゃんの家に行く時には必ず渡良瀬橋を通っていたものでした。


新居から渡良瀬橋までの道程は、今日に限っては

全く別物でした。

一緒に付き添ってくれた妻も、多分私の口数が

少ないことを感じていたかもしれません。

そうなんです、良い意味で緊張していました。


通三丁目の踏み切りを越えた辺りから、緊張

がピークに達してました。

そこからは渡良瀬橋までは、もう目の前です。


歌碑の近道の案内の看板親切ですよね。

そこから先ずは、歌碑へ向かいました。


幾度となく来ているのですが、今日は何と
申せばよろしいのでしょうか。
別次元の感覚でしたね。
歌碑のボタンをポチっとな🐱

♪渡良瀬橋で見る夕日を♪
この時点でもう感情が溢れてしまいました😭

長かった、ここまで長かった、、
歌碑より流れてくる森高さんの歌声で全て
が浄化されて色々な思いが洗われていくようでした。

二番からは泣きながら森高さんの歌声と合わせて
私も渡良瀬橋を一緒に歌っていました。
少し離れていたところから妻に撮られてましたね😅

歌碑から流れてくる森高さんの歌声と様々な
思いの余韻残る中、渡良瀬橋まで移動してみます。

到着時間が若干日が落ちるには早い時間では
あったものの、充分に夕日を堪能できるタイミングではあったので良かったと思っています♪


渡良瀬橋から中橋・田中橋を見る景色も
ザ・足利という感じで、まさしく足利の醍醐味
を感じますね✨


体勢を変えて緑橋の方向に目をやると、もう
そこは絶景が拡がっていました☺️


実に良い塩梅で日が落ちていく様子に刻一刻と
変化していく様が最高に贅沢な時間です。


渡良瀬橋で運転されているドライバーの方も
ついつい、夕日に目がいってしまうのでは
ないでしょうか。


浅間山の麓からして、美しい夕日のコントラスト
が映えておりました。
こちらの角度からも最高の眺望を楽しめました。



森高さんと同じ景色を見させてもらえている
嬉しさと子どもの頃の思い出も相交わり、ここでも涙が出そうになりましたが、近隣の学生さんも
自転車で通っているのでぐっと涙を堪えました😢

渡良瀬橋を後にする頃には暗くなりかかっており
ました。

自宅に帰る途中私が産まれた病院の前の道を
経由して戻りました。今は、大学になってますけどもね😆


帰ってからは、2021年fns歌謡祭において
渡良瀬橋下の河原のところで森高さんが
渡良瀬橋を歌った時の録画を見返すこと
をしました。

この録画は、永久保存版です。
生活の中の色々な感情のシチュエーションの
時に楽しませてもらいました。

今日改めて、移住後初の渡良瀬橋に行って
から見る録画は感無量でしたね✨




感傷に浸った後に、今度は地元のケーブルテレビ
で渡良瀬橋など主要スポットを定点で見れるチャンネルがあるんです。
そこで渡良瀬橋を確認したところ


光の加減か渡良瀬橋がイルミネーションのよう
になっていましたよ✨💍✨

テレビで見る渡良瀬橋も良いですが、やはり
生で見る渡良瀬橋は最高ですね☺️

何より、今日は森高さん・足利移住関連性コラムの④で書きましたように移住後の目標が達成できて良かったです✨

次は、散歩がてらリラックスして渡良瀬橋
に行こうと思いました☺️







 移住日の夜のことも忘れられませんでした。足利は、母の実家ですが、親族との繋がりもほぼ薄れてきた中で、ご縁 で移住少し前にご親戚との方との繋がりがもてていたのです。移住前から何回かお会いして、とても穏やかで良さそうな方とご縁ができたなあと思っていました。その方と外食を共にしていた中で私は、足利と森高さんのことを切り出したのです。すると、その方は森高さんの聖地に ゆかりのある方でした。そして、7月に黒磯でのライブに初めて行かれたというお話には、驚きました👀‼️これから、足利でお世話になる唯一の母方のご親戚の方が森高さんのライブに行っていたとは😆衝撃でした。そこからは、私が参戦した 東京でのライブの感想を伝え、ご親戚からは、黒磯ライブの熱い感想を聞けてと、移住日の夜から、誰が森高さん談義に花を咲かすことが予想し得たでしょうか。これからお会いする度に、自然と森高さんのお話をできる環境にあることは、私にとりましてはとても嬉しいです☀️更に移住してから6日目には18時丁度に織姫神社から聞こえてくる織姫チャイムで渡良瀬橋を耳にすることができたことも移住してきたことを再認識する嬉しい出来事です。


移住してから早1週間、ご親戚との森高さん談義や織姫チャイムの渡良瀬橋のトピックスはありましたが、移住してからの最初の森高さん関連の夢は、渡良瀬橋で夕日を見ることと、歌碑を流して渡良瀬橋を聴くことです。渡良瀬橋まではお陰様でそう遠くないところに居を構えていますので 二度目からはジョギングを兼ねてとか散歩とかで行きたいと思います。

ただ、初回は渡良瀬橋を目にしたら号泣しそうな気がします😭
今まで幾度となく渡良瀬橋には行ってますが、移住後初の渡良瀬橋は、格別な思いになることは間違いないと思います。 




 来年の森高さんの予定は、現時点では発表されてはいないもののファンクラブ入会は、是非とも足利でしたいと考えていたのでそこも願いが達成しそうです。

コラムを書きながら森高さんと足利と私の人生が深い縁で繋がっていることを実感としています。

いつもライブで森高さんが渡良瀬橋 を歌う時、森高さんは足利の方なんじゃないかという位の感情移入で聴いています。それ程、曲の世界観に森高さんが馴染んでいるんですよね。

これからは、渡良瀬橋や周辺の 山山や川や町の風景に森高さんのイメージを重ね合わせ、森高さんが、大切に思われている足利での生活を私自身が大切に養い育てていくことを誓いとして、コラムの結びとさせていただきます。


 大変長いコラムとなりましたが森高さんと足利に対する私の思いを籠めて書かせて頂きました。

私の思いをお読みくださった皆様には、心より感謝申し上げます。




この日、最も忘れられないシーンが ありました。 それは、森高さんが、何歳位まで ライブをやるのか?ということを MCで話していた件です。 その時森高さんは、還暦位までライブをやりたいというニュアンスで話されていました。

 

 新・足利市民会館建設完工時期に 森高さんが何才になるかを事前に把握しておりました。 横浜に居ながら常に 新・足利市民会館建設の動向を常々チェックしていたのです。 それは、前述した2021年の新・ 足利市民会館でのライブを見るという、私の夢があったからなん です。

 

 だから完工時期には森高さんにはライブをやっていて欲しいという 渇望感があったのです。 そんな中森高さんが、いくつまで ライブをやっていて欲しいというニュアンス の声かけがありました。

 

私は、瞬時に 還暦でライブ活動終了してしまったら 新・足利市民会館での完工時期には 若干及ばないことを察知しました。私は二階席のまさに最後列から 「新・足利市民会館が出来るまで」と叫ぼうと思いました。 しかし、会場は静かな中そんな 突飛な独りよがりなことを叫ぶ勇気 もなく、心の中で大声で叫んでい ました。 こんなライブ中に叫びたい感情 になったのは人生初の出来事です。

 

まさに、私の人生の夢と森高さん と足利が三位一体で交錯するというそんな数十秒間の出来事でした。 この数十秒間の出来事は、この先 いくつになっても色褪せること なく輝き続け残り続けると思っております。 ライブ後いつまでも会場に居たいなあと心より思ってました。

 

ライブの感動の余韻に浸りながら の帰り道、前述の、心より信頼を 寄せさせて頂いているお仲間さん のことをしみじみと思いました。 お仲間さんがいなければ、この日 人生の生き甲斐の一つに加わった 森高さんのライブに行けている 道程には遠く思えたからです。2024年3月20日にお仲間さんより 背中を優しく押してくださったよう に私が思えたシーンは、まさしく 私の人生の分水嶺となりました。 常日頃より本当にお世話になって いるお仲間さんには心より感謝の 気持ちで一杯です。 いつも本当にありがとうございます。

 

ライブ終了後から移住までは、約一ヶ月 程までと眼前に迫っていました。 そんな多忙な期間においての私の癒しは 人見記念講堂のライブで「渡良瀬橋」前のMCで森高さんが、"渡良瀬橋に最近来た人〟と声かけして、真っ先に手を挙げたことを思い返したりしました。又、森高さんが渡良瀬橋に来る予定の日に台風が接近してくる予報の為泣く泣く渡良瀬橋に行くことを回避した MCを思い返すことでした。 若葉マークの私にとり、森高 さんが足利のことにMCで触れてくださってるというだけで、 嬉しくて泣きそうになりました。 時期的にもセンシティブになって おり、森高さんの優しさが沁み ました。

 

そして、いよいよ迎えた移住の日に足利へ向かう電車の中で「渡良瀬橋」を聴くことを決めていました。 

 

"電車にゆられこの街まで" 

 

このフレーズのところで、ここ何年間の森高さんと足利への思いが、一挙に 走馬灯のように甦りました。 そこからは、車内という空間でありながらも涙を禁じ得ませんでした。

 

 
 
 
 
 

 

 

アメーバブログの界隈のみなさま、はじめましてBAXです。
夫婦ブログといいながら、なりをひそめていた妻です。どうもこんにちは。
いやはやどんな女なんだい?と思われた方もいたかも…いないか(笑)

まあ、ひとつよろしくお願いします。

 

夫の長文に若干引きつつ、私は私なりのものをお届けしようかと思います。

これからお届けする記事の内容をみていただければ大体どんな人かが知れるかもです。

自己紹介がてら始めたいと思います。

 

栃木県足利市に引越してまいりまして

私の部屋というのもできました。20年ぶりくらいに。

さて、まずどうするか。

 

 

ダイニングテーブルです。部屋に入れるため脚をとった状態。

これね、50年以上前に…おそらく60年近く前に

亡き父が大塚家具にて何十万円もかけて購入したものだそうです。

おそらくは、母と結婚するタイミングに奮発したのでしょう。

実家にてずっと活躍し続けてくれて、実家がボロくなって転居するタイミングで

私がもらいうけることになりました。

既に夫と結婚していたので違う家にいましたが、母が再婚した継父に運んでもらいました。

 

私の父は40年以上前に37歳で病気にて亡くなりましたが

いろいろな逸話とこのような物を遺していってくれました。

頭脳明晰で浅野中学、開成高校ときて早稲田の政経学部を出ていたらしいですが、

その性格は、何ともひょうきんでオモシロイ人だったらしいです。

そのひょうきんでオモシロイ部分だけは、私が微妙に受け継いだかもしれませんw

 

それはさておき、何度も「古いから捨てよう」「新しいのを買おう」的な危機を迎えても

守り続けてついにこの部屋までたどり着きました。

これまでよくもってくれました。昭和の家具って丈夫よね。

そういえば、うっかり熱いものを乗せてしまっても大丈夫でした。

母も感心してたな。

きっと私の生涯、父が居られなかった分も一緒に添い遂げるテーブルとなりましょう。

父の遺品だけど私の遺品にもなりえるな。

引越し屋さんに「裏側にカビはえてます」とか言われたけど聞かなかったことにしよう☆

私には大事な物なんですよ。ええ。

 

 

はい。脚を組み立てて、このまま使ってもよかったけど部屋に色が合わないので
テーブルクロスを作ろうと思います。

 

15年前に4m数百円で買った大安売りゲットの布ですが何か。

ごめんね父さん、すごい高かったテーブルにこれ使ってもいい?

 

 

レースもあるでよ。

 

 

ぬおおミシン久しぶり!

久々すぎて使い方忘れた…電源どこ…。

 

紆余曲折を経まして、完成いたしました!真夜中に!あせる

 

 

 

お、いいじゃん。

 

 

レースはバラ柄のに変更。こっちのがふんわり感がありますね。

 

裏側も布があるので、木綿のリバーシブルテーブルクロスに。

しかし木綿の布にすべすべしたテーブル…そう、滑るのです。だだ滑りです。

使っていたら動いて落ちちゃうのです。

なので、何かしらの天然石(好きで集めてる)を乗せて重しにして使おうと思います。

それなら動かなそう。(後日アメジストのドームをのせました。)

 

よし。これでよし。

まだ引っ越したばかり、ひとつひとつこなしていけばいいや。

 

部屋にこんな大きなテーブル。何に使うのかい?とお思いになられるかもしれないですね。

手作業が好きだから、作業台にしよう。絵も描こう。メイクもここでしてもいい。

引越しの1年前くらいから、そんな事を考えていました。

これからここで、なにかが生まれていきます。楽しみです。

 

私の部屋には、このテーブルの右側にこれまた50年近く前の勉強机があります。

私の祖母(このテーブルを買った父の母親)が小学校入学時に買ってくれたものです。

これまた年代物。

引越し前に家具屋さんにお願いして奮発してリメイクしました。

この部屋に合うように外装を塗りなおしてもらいました。

今度、それのお話しもしますね。

 

 

きょうはこんな感じ。

またね☆

 

#手作り
 

 ライブに行く決心を固めたは良いものの2024年は、足利移住が正式に決まり土地・建物の打ち合わせが非常に忙しい時期と重なり、6月の南足柄市文化会館のライブも気にはなっていたんですが、地鎮祭の前で忙しくチケット取るまでには至りませんでした。潮目が変わったのは、2025年今年のことです。

 

森高さんが4月から全国ツアーを開始することを知り、早速ローチケで先行予約を申し込みをしたところ何と、当選しました‼️そんな一発で当ててしまうとは😮さすがにそんなこともあるものかと、すぐに前述のお仲間さんに連絡いたしますと、大変喜んでくださいました。その上、私にライブのセットリストを教えてくださるとの配慮には嬉しく思いました。

 私は初めて臨むアーチストのライブには、事前に曲を知ってから臨みたい派でしたので、何と粋なお計らいなのかと嬉しくも大変驚きました。しかも教えてくださったのは、お仲間さんご自身が既に参戦済み以外のご自分が行かれていないライブも含めてというものでした。 お仲間さんが一曲一曲私の為に記してくださるという、お仲間さんの優しさには感動いたしました😭

 

セットリストを教えて頂けたからこそ、ライブ当日まで、振り付けの予習が何曲もできたのです。

ライブ当日まで準備ができたことを通して、初ライブの日を迎えることができたことは何よりの安心感でした。

 当選した森高さん初ライブにあたる当日の思いは、今日の森高さんのライブから足利移住が本格的にスタートするんだ、人生が変わりだすんだという良い意味での覚悟を持った状態でライブが始まる瞬間を待っていました。ところがライブが始まるとそんなかしこまった思いは一瞬で吹き飛びました✨何よりも、森高さんとお客さんの心の距離感が非常に近いことが印象的でした。緩急自在のMCに私はすっかりと森高さんの虜になっていました。


圧巻のステージングに感動が止まらず、終わった直後には次のライブはいつかなと気になり、すっかりと森高さんのライブにはまっている自分に気付きました。

 

 

 
 

 

 

 

初ライブの感動覚めやらず、翌月には、二度目の参戦となる人見記念でのチケットが、またもやローチケで取れたのです👍️ライブ開催日は時期的に足利移住日のほぼ一ヶ月前です。足利のことを連日考えている時期に森高さんのライブ当選するとはこれは、思い切りライブを楽しんで来い❗

 呼ばれているとしか、思えませんでした。初ライブから人見記念講堂ライブまでの5ヶ月間の間に期間中何度か森高さんが出演していたテレビを録画して何度も見直したり、昔のライブをYOUTUBE でたまに見たり、ついには9月には、レギュラーラジオのMUSIC10を聴き初めたりと、しっかりと且つ着実に沼っていく重要な期間でした✨

 

 そして迎えた10月11日人見記念講堂でのライブは、この先忘れることのない衝撃的なものでした。以前X上のポストにおきまして6回に亘りライブ感想をコラムとしてあげましたが感想のポイントを再掲させて頂きます。「圧倒的多幸感」ライブ後はもう、この言葉しか出てきませんでした。

 

5月の初ライブとは違った感情のものでした。

初ライブから私の中で森高さんへの醸成期間が育まれていったことにより、ライブに対峙する意識が明確に変化していったことを思わされました。

"私ってこんなに森高さんを好きだったのか!〟

単純な感想のようで自分の中で心底驚いている

感情の発露です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

森高さんを好きになると申しますか、気になる前段階としまして、高校の時に「ザ・ストレス」「ザ・ミーハー」が割りと好きでして、個性的な雰囲気の世界観を歌われている方だなあと気になり『森高ランド』を購入したのが始まりでした。その後も、ヒット曲を連発するも、ドはまりはせずにテレビで聴いていた位のライトな感覚でした。更に「渡良瀬橋」が発売になった当時を思い起こすも今では全く信じられないのですがさほど印象に残らず、足利を歌ってくれて嬉しいな位の非常に薄い感覚だったのが思い返されます。

 

 時は進み2021年5月23日・24日足利へ旅行に来ておりました。その時は5月25日に森高さんが足利市民会館でライブをすることを知らなかったのです。25日のライブ当日夜ネットの情報を見た妻が森高さんが足利市民会館でライブやってたみたいよ!と私に言い、そこで心底驚きました😵私は何も知らなかった😭

 

 実は足利移住を決めた辺りから何となく森高さんが足利市民会館で行うライブが気になってきておりまして、タイミングさえ合えば行きたいと思っていた頃でした。たった一日森高さんとすれ違ってしまった何とも云えない思いと、25日のライブが足利市民会館の解体により森高さんの足利市民会館におけるラストライブだったこと、無念さも重なり私は、ただただ呆然となってしまいました。

 

 翌日は、スポーツ紙どこも大きく足利市民会館でのライブのことを扱ってくれていて、私も迷わずスポーツ紙を購入して、記念として切り抜きもしました。

 

 

 

新聞の切り抜きでが私自身ライブを知らなかったという事実を埋めくれているようで少しずつ気持ちが和らいでくるように思えてきたのが、有難い

ことでした。

 

そこから、2か月過ぎた頃ブログで森高さんのファンの方が足利市民会館でのライブレポートをした方の内容が非常に細やかでライブに対する感情の発露が詳細に書かれていて、私は森高さんの足利への思い入れをそこで初めて知りました。森高さんの思いと私の足利の思いも相まってネットの記事を読みながら号泣してしまいました😭

記事の中で森高さんが感極まり歌えなくなる、渡良瀬橋を歌った後ステージ戻るまで時間かかる等どの記述も非常に生々しいものでした。

 

森高さんに対する私がそれまで抱いていたイメージとのギャップに激しく胸を揺さぶられました。

私はそこで一大決心をしました。足利市民会館は、解体されてしまったけれども、今後建設された後完工された足利市民会館で絶対に森高さんのライブを見ると心に固く誓っていました。


その出来事が私が森高さんを好きになったきっかけとなりました。
複数の森高さんのファンの方がレポートして

くださったことこの事は、今も感謝の思いがずっと残っております。
レポートしてくださった森高さんのファンの方々本当に感謝の思いで一杯です。誠にありがとうございました。
私が移住に動き出した2022年には森高さんへのある思いを実は秘めていました。
森高さんがきっかけとして、足利移住への
思いは益々高まっていくのでした。前述の秘めた思いとは足利移住までに一度は森高さんのライブに行けたら良いなあという淡い思いでした。


森高さんの足利市民会館でのエピソードを通して森高さんの場合は、お人柄から先に好きになりました。しかしライブに対する思いはこの時点においてはさほどでもなく、どうしてもという熱意まではなかったことは認めざるを得ません。若干の温度差がありました。


そんな思いを抱き2024年3月20日を迎えました。

当日、日頃からお世話になっているお仲間さんに、森高さんのライブの印象や実際にライブに来ておられる方の印象を単刀直入に聞いてみたところ、お仲間さんの回答がわかりやすくイメージが頭の中にさーっと浮かび上がり、これは行くしかないな!と背中を優しく押された気がしたのです。私の中の何かが変わった瞬間でした。


後々を振り返ってみるとこの日が、全ての始まりとなるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆様、初めまして。

氷室忠太と申します。

 

Xは、既に投稿しておりますが、ブログ自体

は全く初めてとなります。

 

今から25年位前に「宇多田共和国」という

宇多田ヒカルさんのファンサイトでよく

書き込みをしていました。

宇多田さんのアルバム・シングル発売時に

は渋谷の大手CDショップを廻って詳細に

レポートしたり、オリコンのランキングの

分析のようなことを自由に書かせてもらって

いました。比較的長めの文章を書き出した

のもその頃と記憶しています。

 

趣味は色々ありますが、やはりライブ参戦

することです。

 

好きなアーチストは多く居るのですが

一番好きなアーチストは、Superfly です。

ファンクラブには、Superfly とMISIA に

入会しています。

森高千里さんも近々ファンクラブ入会

します。

 

今後のブログの方向性といたしまして

長めの文章を書いた場合に投稿をさせて

頂こうと思っております。

 

ご興味のある方は、お読みくださると

嬉しく思います。

 

皆様、どうぞよろしくお願いいたします。