危機一髪、三途の川を渡りました。
あれは忘れもしません。私がグアムで生活していた頃、23歳の頃の話です。もう既に、かなりの時間が経過しましたので、時効だと思い、ここに書かせていただきます。それでは本編スタートです。
グアムで生活していた頃、会社の先輩と相部屋で生活していました。グアムタワーという、アパートメント。日本でいうマンションの7階、3LDKの部屋に2人で質素に暮らしていました。
仕事を終えて、グアムタワーから、マーティース・バーに通うのが、当時の私の日課で、酒は毎日のように、ヘベレケになるほど、浴びるほど飲んでいました。
マーティースバーには、ミス・グアムにエントリーした背の高い丸顔の女性(アメリカ人、名前は忘れました)がおりまして、当時は彼女目当てに通っていました。
英語が喋れなかったことも1つですが、あるとき彼女が、私のことをジャップと呼んでいるのを知ってしまい、恋を諦めた経緯があります。残念ながら彼女とのロマンスは成立しませんでした。
彼女は、マーティース・バーの女バーテンダーで、のちに、アメリカ海軍の軍人さんと恋に落ちて結婚したようです。よく店内でディープキスしてるのを見かけました。彼女が、ミス・グアムにエントリーしていて、新聞の記事に載っているのを後日、知りました。それはもう、素敵な女性でした。
英語が喋れないことをあれほど呪ったことはありません。彼女とは、会話することができず、結局、恋は終わりを告げます。何十年か経ち、会社の企画で再びグアムの地を踏むことになるのですが、グアムで起きた大地震の影響か、マーティース・バーは跡形もなく、きれいさっぱりなくなっていました。
グアムでよく飲んだビールは、主にミラードラフト、オーストラリア産のフォスターズ。ミラードラフトの瓶にライムを入れて飲むのが、当時の通な飲み方でした。
相部屋の先輩は、サーファーで、ゴルフをたしなむ方で、次期、グアム支店長に噂される人物でした。この会社は、チェーン店になっていて、ニューヨーク。サンフランシスコ。ロスアンジェルス。グアム。ハワイ。サイパン。オーストラリアに支店を持っていて、主にブランド品を扱っていました。
当時は、ニューヨークに行ってみたい。その思いが強くて、この会社の面接を受けたことは、今でも語りぐさの1つです。
ニューヨークは英語が堪能でないと務まらない。だから最初は、グアム、サイパンで修行を積みなさい。時期が来たら、ニューヨークに行かせてあげようじゃないか。そう社長に直々に言われ、私はこの会社の社員になることを決断します。
後日談になりますが、当時、私を面接した冴えない老人が、社長だったことを知り、後で驚いた記憶があります。さて、グアムの生活ですが、相部屋の先輩は、サーファー。なので、ビニール袋で封をした、タバコの葉のようなものを常時、冷蔵庫にしまっていました。
時々、先輩が会社に出勤の日、自分が休みの日に、先輩に内緒で、葉っぱを鼻毛切りばさみでチョキチョキ切って、吸っていました。ある日、パーティーをしようということになり、知らないアメリカ人と3人で、パーティーをすることになりました。
私はお酒が強く、ざるなので、ちょっとやそっと、ドラッグを吸っただけでは酔いません。みんなで鼻毛切りばさみを使って、ちょきちょき、葉っぱと実の部分に切り分けていきます。実の部分、茎は、苦いので、すべて捨てます。吸うのは主に葉っぱの部分だけです。
桃の缶詰のシロップに、ウィスキーをロックで入れ、ぐいぐい煽りました。まず音に敏感になり、遠くの犬の遠吠えが、耳元で聞こえるようになりました。ついで味覚が研ぎ澄まされてゆく感じで、何を食べても、おいしく感じられるようになりました。たぶん、味覚、聴覚を含めた、5感覚が研ぎ澄まされてゆくのだと思います。
どれくらい葉っぱを吸ったでしょう。たぶん、缶詰のシロップでロックした、ウィスキーが効いたのでしょう。私の体に異変が起きます。頭を棍棒で殴られたような衝撃が後頭部、脳に、ガツーンと走って。それからが大変です。心臓がバクバクいって、今にも胸から飛び出しそうな程の衝撃を受けます。
例えるなら、マラソンで、3000メートルを走り、すぐに100メートル走にエントリーするような状態でしょうか? あまりにも動悸が激しくて、これは、もしかしたら心臓発作で死んでしまう、そう思い、今度は冷房の前に立ち、冷気を直接、心臓に5分ほど、当てました。これがよくなかった。
今度は狭心症のような状態になり、バクバクいっていた心臓が、どくん、どくん。今にも止まりそうなくらい、鼓動を弱めたのです。と同時に私は半狂乱になり、グアム・タワーから飛び降りたくなってしまい、居ても立ってもいられなくなります。
これはまずい。もしかしたら本当に死んでしまう。そう思い、先輩に何も告げず、ビーサンを突っかけて、グアムの町に飛び出しました。もちろん財布も何も持っていません。歩くことで、心臓の乱調を整えようとしますが、相変わらず心臓は、ばくばくいったままで、そのうち、意識まで遠のいていきます。
通りすがりの人に救急車を呼んでもらおうか? どうしようか? そんなことが頭をよぎりながら、いや、待てよ。もしここで救急車を呼んだら、日本に強制送還されてしまうのではないか。それだけは避けなくては。私は薄れゆく記憶の中で、グアムの町を徘徊します。
独り言をブツブツと繰り返し、なんの目的なく、グアムの町を徘徊します。よく臨死体験した人は、自分の体をはるか上空から眺めるといいますが、私もそんな感じでした。ひどい耳鳴り。歩いてはいるけれど、自分の体ではないような、フワフワとした感じで。
体の上空、50センチくらい上の所から、自分の歩く姿を見下ろしていました。どれくらい歩いたでしょうか? とうとう私は意識を失ってしまい、グアムの草むらの中に横たわってしまいます。死ぬのかな、最後に思ったのは、その言葉でした。それからしばらくして目が覚めるまで、私は草むらで死んだように横たわっていました。
どれくらいしたでしょう。私は、ようやく目を覚まします。そしてまだ生きているのだと実感します。時計を見ると、約5時間。草むらに横たわっていた計算になります。私は九死に一生を得て、神様から辛うじて生きることを許されました。
それ以来、フラッシュ・バックがひどくて、心臓が狭心症のように、キュウっと、理由もなく苦しくなる病気に悩まされました。
5年くらい、心臓に違和感を覚えたまま、過ごすことになります。あの時は、もうダメかなと思いました。