これは、あくまで僕がぼんやり考えていることで、証拠も何もありませんし、自分でもいくつもの反例を見つけられるくらい適当な考え方です。
今回考えるのは古典派とロマン派の音楽の違いは何だろうというところです。
全てがそうではなくとも、古典派の音楽は「形式の中で表現しよう」というアポロン的な要素を見出すことができるように思います。作曲者の感情云々よりも、まず感情の外にある理知的なもの、あるいは絶対的規則というものが先に出てくるわけです。
さらに、調性から極端にはみ出るようなこともありません(多分)。調性というのは、主音や属音が絶対的な君主として君臨し、他がそれに従属するものですし、そこには直線的で男性的なものを私は見出しています。
昔、美術館で見た、英雄ヘラクレスの絵画(詳細不明、獅子との闘いを描いた絵?)を連想します。他も、古代ギリシャのヘレニズム彫刻とか。とにかく直線的で、男性的です。
ロマン派は、自由な形式の曲が増え、また特に後期になればなるほど調性が曖昧になっていきました。作曲者の感情を剥き出しにした、デュオニュソス的な要素の曲が古典派よりは増えていることでしょう。
また、調性も曖昧になっていきます。曖昧な調性というのは、音と音の間に絶対的で直線的な主従関係がない分、より曲線的で女性的なのです。女性の肉体美とはその曲線にあるわけです。
アポロン的で男性的なものからデュオニュソス的で女性的なものへの転換というのは、曲そのものだけではなく、演奏にも現れていたことでしょう。19〜20世紀初めの「ロマン的」演奏というのは今でも録音で聴くことができます。それ以前の、「古典的」な演奏がどんなものか分からない以上何とも言えないかもしれませんが。
現代はどうでしょう。まあ、色々ですよね。でも、12音技法や、ケージのような偶発生の音楽、ミニマムミュージック等を聴いていると、作曲者自身の感情等よりも理論や規則が先立つ(どころか、「表現」する意思もないかもしれない)、アポロン的なアプローチでの曲が多いような気もしてきます。
演奏では、「即物主義」とやらが大戦後からは主流らしいので、それもまたアポロン的なのかもしれません。
アポロン的で男性的なものから、デュオニュソス的で女性的なものへ。そこからさらにアポロン的で男性的なものへの揺り戻し。100年単位くらいで大きく揺れる揺籠の中に我々はいるのかもしれませんね。