概要

深山第二砲台・深山第二堡塁(後に第二演習砲台)

起工 明治25年7月

竣工 明治30年9月

備砲 28cm榴弾砲 6門 3砲座

        15cm臼砲 4門

       機関砲4門

残存遺構・掩蔽部一基

消滅遺構・全砲座・全堡塁 (休暇村建設につき消滅)

 

深山第二砲台は、残像遺構がほとんどありません。唯一残っている掩蔽部も、補強工事でかれこれ3年は放置されていて、悲しい状態です。

 

まあ戻らないものをあれこれ言ってもしょうがないので、残ってる遺構をここに保存しようと思います。

掩蔽部は休暇村の前にあります。

 

 

横から。邪魔なものが付いてますね。保存には仕方のないものかもしれませんが。

 

 

 

中には入れませんでした。小さい頃に入った思い出はありますが、一般的な掩蔽部と同じです。

 

 

和歌山県立図書館に、由良要塞に関する研究結果をまとめた報告書がありました。そこに載っていた図面からは、臼砲は南側、現在で言うプール辺りに建造されていたようです。面影すらありませんけど。

 

 

当時の砲座、砲台です。煉瓦作りではないことが分かります。第二砲座の姿をはっきり捉えることができる唯一(?)の写真です。

 

悲しい遺構でしたが、見ていただきありがどうございます。

じゃ、まったのーう。

 

参考文献

由良要塞1 由良要塞2 由良要塞3  近代築城遺跡研究会 和歌山県立図書館所蔵

アジア歴史資料センター

現代本邦築城史 第二部四巻 由良要塞築城史

 

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概要

男良谷(おらだに)砲台=深山第三砲台

起工 明治35年11月5日
竣工 明治37年8月8日
備砲 斯加式12cm速射加農砲 4門 2砲座

残存遺構・全砲座・全弾薬庫

消滅遺構・兵舎・発電所・右翼観測所(海岸への階段建設にて消滅)

 

水雷砲台周辺

備砲(装備) 34式魚雷 4本

起工 明治37年

竣工 明治38年6月

残存遺構・魚雷運搬トンネル・探照灯座、隧道

消滅遺構・発射室・頭部室?

 

 

では下っていきます。

 

 

10分ほど歩くと、休暇村から来れる道と合流しました。

もう少し降ると...

 

 

海軍の文字が。これの隣には建造物基礎があります。

 

 

 

発電関係の建物なのか、兵舎だったのか...資料がありませんでした。

 

 

 

見えてきました。実は左に海軍の遺構がありますが、まずは砲座へ。弾薬庫から見ていきます。

 

 

 

 

部屋の奥が丸くなっているのは弾薬庫の特徴です。

では砲座へ〜

 

 

 

茂ってますね〜(笑)

ここには12cm速射加農砲が4門2砲座設置されていました。

 

 

加農砲特有のR型が確認できます。

 

 

男良谷は建設時期が違いますので、煉瓦積みではありません。コンクリートと石でできています。友ヶ島第五砲台と同じ素材かな?

 

 

では道へ戻ります。

隣の砲座は同じ構造なので、説明は省きます。

 

 

 

では海へ降りてみましょう。

 

 

ここには右翼観測所があったのですが、海岸へ行くための階段を建設したので無くなってしまいました。

 

 

 

降りて左を見ると水道が通っています。来るまでの谷に沢があったので、それの排水用でしょうね。

ちなみにこれはどこに繋がっているかというと...

 

 

 

ここに繋がっています(どこや)

砲台に来るまでの谷の下につながります。

 

戻って海岸を見ると、なにやら桟橋のような建造物が...

 

 

上陸用の桟橋です。少し短い気もしますが...

 

この奥には排水路がありました。

 

 

ちなみに、これを撮る時満潮だったらしく、ちょっと波が来ると靴が濡れるような場所に立って撮影していますw

では初めに戻って、左に行ってみましょう。

 

 

 

進んでいくと...

 

 

地獄への入り口...ではなく魚雷運搬トンネルです。

途中までは行けますが、奥で崩壊しています。

 

 

地面はトロッコの枕木跡が残ってます。しっかし、コウモリの有機物がすごい(笑)

 

 

出てきたら次は右を見てみます。

 

 

ボイラー跡です。ここでは探照灯等の為の電気を発電していました。

 

 

横から。

 

 

上から。足が入っていますが気にしないでください。

 

 

排水路。次行く時はこの上も探索する予定です。

 

 

かまど跡。元々ここには水雷格納所があったのですが、早期に取り壊されたので、陸軍のかまどと思われます。

 

では、探照灯跡に行きましょう。道が険しいので、万全の準備をすることをお勧めします。

 

 

第二砲座の即弾室から登ります。

 

 

わかりにくいですが、赤色の道?を進みます。道中三角点と海軍杭がありますが、最後にまとめます。

 

 

降ります。まっすぐいけば着くはずです。迷ったら帰れないので、お気をつけて。

 

 

道が合っていれば、急に煉瓦が現れます。右下の瓦礫は発射管の残骸か、頭部室の残骸でしょう。

 

この近くに水路があります。海岸にあった急斜角の水路に繋がると思います。

 

 

では突入〜

 

 

 

 

 

男良谷探照灯座に到着です。内部は短いですが、コウモリの糞がねぇw

 

 

外観です。かっこいいですね。ここも穴場なので、人による風化が少ないです。

 

 

座の縁はコンクリートでできています。一部が崩壊して、座に土が入ってきていました。

 

 

この偏った繋ぎ目が萌えますね。この上に最近新しく発見された、本土決戦用の洞窟があるようなのですが、道が険しいのと、足がもたなかったのでまた今度。撮影出来次第また編集します。

 

で、帰り際に発射室の壁を撮影できました。

 

 

これだけでは何かわかりませんが(笑)周りには瓦礫が転がっています。発射室の残骸でしょうね。

 

 

発射室の図面ですが、正直言ってよくわかりません。発射用のスロープのようなものが海面まで伸びているのかな?目立つだろ(笑)

 

2023年6月6日、和歌山県立図書館で「由良要塞1」からの情報を追加します。

装備されていた魚雷は34式魚雷。直径45cm 全長650cm 重量895kg。

頭部室の役割  頭部室には、魚雷の炸薬部分が安置されていたと考えられています。

「由良要塞1」を読んで、ひとつ疑問に思ったことがありまして。「発射室、探照灯座は後に海岸砲台になったと思われる」「跡地には15cm砲2門が配備された」ちょっとそれを確定するには情報が足りないんじゃないかな〜と(笑)あそこはまだ謎がありますね...

 

 

一応これで残存遺構は終了です。後は谷に建設された兵舎跡(基盤のみ)を見てみましょう。

 

 

そこに何かがあったことだけがわかります。

 

 

水路跡。

 

 

井戸跡。中は煉瓦で作られています。

それではおまけ写真を少し。

 

 

海軍杭。

 

 

三角点。

 

 

波に削られ、丸く小さくなった当時の煉瓦。当時のものが私に手にあることが夢のようです。

 

 

 

 

至る休暇村までにある放棄された原付。かれこれ5年前くらいから放置されている...

 

これで男良谷砲台、水雷砲台、探照灯跡をまとめて記事にしました。

次は深山第二砲台の記事ですが、すぐ書けそうです。

本格的な記事は加太砲台、田倉崎砲台になるかな。7〜8月までお待ちください〜

 

じゃあ、まったのーう。

 

 

 

参考文献

由良要塞1 由良要塞2 由良要塞3  近代築城遺跡研究会 和歌山県立図書館所蔵

アジア歴史資料センター

現代本邦築城史 第二部四巻 由良要塞築城史

 

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概要

深山第一砲台跡

起工 明治25年7月

竣工 明治30年9月

備砲 28cm榴弾砲 6門 3砲座

残存遺構 ・全地下掩蔽部・第一、第二砲座・第三砲座半壊・右翼観測所

消滅遺構・左翼観測所(コンクリート遺構が見えるのみ)

 

深山堡塁

起工 明治25年7月

竣工 明治30年9月

備砲 15cm臼砲4門 機関銃4門

 

 

深山第一砲台は、大阪湾などの瀬戸内海重要港を守るために造られた最初期の遺構です。

砲座を繋ぐトンネルと地下掩蔽部が有名ですね。最近落書きをされて和歌山県が怒ってましたけど(笑)

ここには28cm榴弾砲が6門設置されました。この写真は有名ですね。トンネルが無いので深山第二砲台のものと思われます。

 

 

個人的な話になりますが、この砲、明治期の要塞は大体これなんですが、ずんぐりしててダサくないですか?(笑)

強そう!とは思えませんね。

この砲台の攻撃方法は、弾を山形に飛ばして、敵艦の甲板に火をつけることです。

有名な写真ばかりですが、このように飛ばしていたようです。

 

 

この山形弾道砲(榴弾砲)は、標高が比較的高いところでの運用が多いですね。

低地だと、男良谷砲台の速射砲や、加農砲が多く見られます。

低地での砲台運用は、榴弾と違い、敵艦の船体に穴を開けることです。

高地だと榴弾、低地では徹甲弾、というように分けていました。

 

砲の話で盛り上がってしまいました、やっと砲台に行きます。

 

 

ここは国民休暇村の駐車場です。土日だと宿泊客や釣りの方ですぐに埋まってしまいますので、訪れる場合は平日、朝早くから行くことをおすすめします。

 

 

ここに敷かれている煉瓦、どこかの記事で見たのですが、当時敷かれたもののようです。なかなかオシャレな要塞ですね。

 

 

どんどん登っていきます。

ちなみに、この道には自然にできた窪があるのと、要塞に入る直前に石垣が確認できたのですが、用途が分からず...兵舎か便所でも立っていたのでしょうか。

 

 

 

要塞に入る直前。

 

 

 

一気に視界がひらけますね。要塞到着です。

 

 

要塞に入ってすぐ左側、どの要塞でも見る井戸、水槽跡でしょうか。埋められたのか、他に何か置いていたのか...

 

 

右にまっすぐ歩くと展望台まで行けるのですが...まずは深山堡塁です。

 

 

この道を進むと右翼観測所と深山堡塁です。目印は壁が石垣になっています。みんな深山第一砲台に気を取られて、この道を行く人は少ないんですよね〜。見てほしいものです。実は堡塁には地下掩蔽部も残っていて、誰も来ないから状態が非常にいいです。

では突撃〜

 

 

道をまっすぐ歩くと二手に分かれます。左が右翼観測所、斜め右には堡塁があります。

ではまず観測所へ。

 

 

 

薮ってますが、右翼観測所です。

左側には小隊長位置があります。まずはまっすぐ行ってみます。

 

 

 

何度も見た平均的な観測所ですね。では次は小隊長位置へ。

 

 

 

これも平均的ですね。居心地が良さそう。

 

 

では戻って今度は右側へ行きます。

 

 

入り口です。

ここを抜けると...

 

 

 

左側に砲座があります。

人が来ないせいか、茂りまくっています。

 

 

ちゃんと即弾室もついています。この堡塁には、移動式(山砲のようなもの)の臼砲が4門配備されていました。

振り返ると...

 

 

井戸跡です。

 

 

3点濾過槽と呼ばれる水槽があります。名前の通り、3つに分けられています。

 

 

私たちみたいな要塞ファン(変態)では有名な飲料水路杭。

うっすら石に彫られています。見えるかな?

それでは奥に行ってみましょう。

 

 

道が2つに分かれています。ちなみに、右は砲座のように見えて、何もありません(笑)臨時に作った砲座でしょうか?あるいは臼砲を収納していた?でも、堡塁までの道は階段ではなくスロープ型だったので、初めの広間に安置していたとも考えられますね...

では、砲座に行く前に正面の掩蔽部を見てみます。

 

 

しっかり残ってますね!誰も来ないから状態が良い♩

 

 

 

 

 

掩蔽部は一基のみです。

では左側の砲座へ。

 

 

広いですね。砲が2〜3門置けそうです。

 

 

即弾室フェチ♡

 

 

なんでしょうかこれ...測距儀的なものが置いてあったとふんでいます。(でも堡塁に測距儀なんかいるか?普通観測所とかにあるんじゃ...)

一応右側窮地も見てみましょう。

 

 

増設された臨時砲座か、砲安置所か...

 

では初めの場所に戻ります。

 

 

掩蔽部、見ていきましょう。

 

 

 

手前の掩蔽部から。

 

 

 

ここは内部で繋がっていません。

 

 

内側ビュー

 

では外に出て隣の掩蔽部へ行きますが...

 

 

この煉瓦のカーブ良くないですか!?...誰か理解できて...

残りの掩蔽部もみていきます。

外見は一緒なので省きます。初めに見た掩蔽部の方が少し小さいです。

 

 

この二つは中で繋がっています。

 

 

内側ビュー…

同じでしたね。

この連結した掩蔽部の隣にもう一基あるのですが、割愛します。

では奥の階段を上がり、いよいよ砲座です...

 

 

...と言いたいのですが、まさかの第一砲座で結婚式の写真撮影をしていました。流石にお邪魔するわけにはいきませんので、ささっと看板と伝声管だけ撮らせていただいて撤退しました。お幸せに...

 

 

こちら、深山第一砲台第一砲座です。1砲座で2門の砲が備えられていました。写真の事情は上記のとおりです。

 

 

 

こちらは伝線管です。掩蔽部との連絡はここに叫んで伝えたらしいです。砲座の写真では看板の左上に位置しています。

 

 

トンネル内部。要塞の煉瓦は漆喰塗りで白色だったようです。画像は第二、第三をつなぐトンネルです。

 

 

見下ろしてみる。

 

 

 

トンネル内には掩蔽部が2基あります。一段壁が下がっていますね。一枚目少しブレました、すまぬ...

 

 

 

本当にすみません、iPhoneの暗闇モードでブレてます...

掩蔽部同士は内部で繋がっていません。奥の窪みは湿気避けか、換気用の穴ですね。

内部は風化が少なく、漆喰色が綺麗に残っています。横の壁には、砲弾を置いていたと思われる棚の金具が残っていたりします。

 

 

ちょうど上には穴が空いています。影が...

では第2砲座へ行きましょう。

 

 

 

これが深山第一砲台の砲座全体像です。第二砲台も同じ構造です。奥には伝声管もあります。

 

 

二個目のトンネルです(第三砲座から)

トンネル内は構造は同じなのでスルーします。

 

 

第3砲座です。  6番砲座が土砂崩れによって崩壊していますが、5番砲座は生きています。

 

 

上に伝声管も確認できます。次は左翼観測所に行きます。観測所は土砂崩れの真隣りにあります。

 

 

左翼観測所です(笑)歩道建設のため、内部には土が入っています。

でもちょっと違和感が。右翼観測所はこれよりも小さかったですよね。観測所でこれほどでかいのは珍しい気がします。ほんとにこれ観測所か?笑

 

ちなみに、トンネルの隣に階段が見えていましたが、あれを登った先は何もありません。

砲座中心の階段は展望台につながっています。

 

説明看板をすこし。

 

 

 

 

 

これで深山第一砲台跡は散策終了です。

この道から男良谷(おらだに)、又の名を深山第3砲台へ行きます。

 

 

第三砲座の隣に道があります。迷子にならないように...

初めの駐車場からも男良谷砲台には行けますが、こちらの方が観光がスマートに行くかと。

今回同伴してくれたお友達です。ごめんよ、きつい坂登らせて( ;  ; )

 

 

では、まったのーう。

 

参考文献・協力

現代本邦築城史第二部四巻(国立図書館デジタルコレクション)

加太国民休暇村

ameba由良要塞深山に関する記事

アジア歴史資料センター

 

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