はじめに
そもそもラリーに参戦しようと思ったきっかけは、実に単純なものだった。 オフ車に乗り、ツーリングからエンデューロというレースの世界へ足を踏み入れたとき、オフロードレースの最高峰である「パリダカ-ルラリー」に憧れた。
ただ、憧れは現実味を帯びない。どうしてかと言えば、周りにラリーに詳しい人がいなかったし、漠然と高額なエントリー費用と外国へ行くという不安から二の足を踏んでしまっていた。
レースに出るようになって10数年。金銭的にも多少貯金ができるようになった年代になってから、憧れを現実に変えるときが来たと感じた。
SSER ORGANISATIONが日本人としてモンゴルラリーを主催している。これは出るしかないと。。。 異国の地を走りたい。。。そして、砂漠を走りたい。。。
自分にとっては、冒険ツーリングの延長線上にある必然だと感じた。
残念なことにそれまで続いていたラリーレイドモンゴル(RRM)は10年にして幕を閉じてしまった。これから出ようと思っていた矢先に。。。
その代わりと言うわけではないだろうが、SSERから日本縦断ラリーの計画が発表され、ラリーという競技フォーマットも十分理解できていない自分にとっては練習には格好の機会と思い参戦することにした。
準備
|
エントリー書類 |
国内なので特に煩わしいものは無かった。 |
|
マシン |
乗り慣れているDRZ400Sに決定。 |
|
タンク |
レギュレーションで無給油200kmの航続距離が走れる容量が義務付けられていた。IMSの4.2gal(約16Liter)で十分かなぁと思い、後はどこで買うかが悩みどころだったが、ちょうどDIRT SPORTS誌に日本に居ながらアメリカのパーツが購入できるバイク屋さん(Little Tokyo Motorcycle Shop)があることを知って、早速注文した。( ※送料入れても、アメリカで買い付けたほうが断然お得だった。) |
|
ナビ周り |
広島の単車屋さんにマップホルダー、ナビゲーション周りを固定するフロントパイプユニット、ICO(Rallye VR Light バックライト付き距離計)注文した。 |
|
スクリーン |
いろいろ探したが、節約のためにポリカーボネイト板で自作した。 |
|
ライトチューン |
右はH3バルブで、左はハイワッテージHIDの2灯 |
|
スペアパーツ |
タイヤ(前2本、後2本)・・・ミシュランCompⅢ(サイズ 90/90-21・120/90-18) |
|
装備品 |
テント、シュラフ、シュラフカバー、マット、コンパクトピロー、LEDランタン、食器セット、サイリウム、コンパス、アルミシーツ、牽引用ロープ、ヘッドライト、マグライト、ブーツ、ヘルメット、グローブ(2:予備1)、ゴーグル(2:予備1)、エルボー・ニーパッド、ブレストガード、キャメルバッグ、ジャケット、motoパンツ・ジャージ 、ウェストバッグ、リアフェンダーバッグ(トレックフィールド製)、着替(ジャージ5枚、ソックス5足、アンダーパンツ等)、・救急セット、エマージェンシーフード(ゼリー、カロリーメイト類たくさん) |
参戦レポート
出発の日(4月25日)
昼前に長野を出て、長野ICから高速に乗ろうと思ったら、いきなりトンネル事故で更埴JC近辺が通行止めになった。
「なんてこった!」
夕方の奄美大島行きフェリーにはまだ余裕があったので、とりあえず下道で行き上田ICから高速に乗った。関越、首都高を乗り継ぎ、有明埠頭で大島運輸の事務所を探し(結構わかりづらい)、待合場所で時間まで待った。
そこには、ラリーマシンが何台か停めてあって、たぶんTDNに出るんだろう、とは思ったが何となく話しかけるタイミングも無くまもなく乗船した。
約1日半の長旅。これから始まるラリーを思い描いていた。
奄美到着(4月27日)
名瀬港に朝早く到着。
島をぶらぶら回って海辺で時間を潰した。暇を持て余してどうしようも無くなり、とりあえず車検場となっているホテルに前泊した。
受付・車検、ブリーフィング(4月28日)
昼頃からエントラントが続々と終結。ラリーマシンの品評会と化していた。
同じDRZ乗りのS木さん、M木さんからいろいろと質問を受けた。何だか同じマシンというだけで仲間になったような気がした。
受付・車検は特に指摘も無く通り、パルクフェルメにマシンを停めて、何気なくテープを潜って出ようとしたら、いきなり大会委員長のY田さんから
「そこから出ちゃだめだ!!!」
って怒られた。
DAY-1(4月29日)奄美→名瀬港(265.2km)
指折りカウントダウンの後、ついにスタート。
7日間のラリーの幕開けだ。
ところが、ICO(100m単位)とコマ図(10m単位)の距離の刻みの違いから、ICOの補正がうまくいかず迷っていると、見かねたのかK山さんが合わせ方を教えてくれた。
なんてこと無いことだったけど、当時の自分はそれすら判っていなかった。
こんなんで海外ラリーなんて行けるはずが無い。もっと経験が必要だなと思った。
それでも初のSS-1は無難にこなして、上位に入った。そして、フェリーに乗って奄美を後にした。
DAY-2(4月30日)鹿児島港→宮崎(326.97km)
鹿児島港を出てから、しばらくはツーリングのように道路、ダートと走り、コマ図にも慣れてきた。
SS-2はぬちゃぬちゃのテープ貼りまくりのクローズドコースで行われた。
あちこちでスタックしていたので、慎重に(でも1度転倒)クリアーし、最後の急傾斜の登りも若干ハンドルバーがチンガードにあたったものの、うまく上がることができた。
I倉さんはその後のコブで着地に失敗して顎を切る怪我をしてしまい、みんなで応急手当した。
SS-3は残念ながらあまり記憶が無く、まぁ無難に走ったような。。。
で、結果をみてビ~ックリ!!!な~んとSS-2トップだった。
DAY-3(5月1日)宮崎→大洲(481.05km)
この日も今となってはSS-4もどんな出来事があったのか思い出せない。
夕方のフェリーで九州を後にして四国へ渡ったことくらいかな。。。 あ、でも総合で3位の位置に付けてたのは、正直ビックリだった。
DAY-4(5月2日)大洲→伊野(348.08km)
3番手スタートでちょっと順位を意識しだしてしまったのがいけなかったのだろうか。
ブリーフィングで注意のあった箇所でミスコースをしてしまい、プッツンしてしまった。しばらくオンコースに復帰する気も無く、だらだらと走ってしまった。
でも、やはり最後まで走らなければと思って復帰したものの、タイムロスは相当なものとなってしまった。
気持ちを切り替えて、
「順位じゃなくて無事長野へゴールすることだけを考えよう。」
それまでは1日1日を楽しもうと。そう思ったら気が楽になった。
DAY-5(5月3日)伊野→琵琶湖(531.61km)
この頃から一緒に走るメンツが固まってきた。AFRICA TWINのk玉さん、M川さん、KLXのN津さん、KTMのI井さん、XR400のS彦さん。
で、たまにからんでくるのがN部くん(一番若い)。
みんな楽しい人達で、今でもこのとき知り合った人はまた一緒に走りたいと思う。
あっ、そうそうここでタイヤ交換したとき、チューブ噛んじゃって暗い中作業したのは今でも覚えてる。悲しい思い出😓
DAY-6(5月4日)琵琶湖→白馬(486.58km)
この日はS彦さんに振り回された1日だった。
マイペースで走っていたところへ、急にマキシマムタイムに間に合わないと言い出した。ちょっとおかしいなぁとは思いつつも、タイムスケジュールを自分で確認せずに彼の言葉を信じて、そこからキャノンボールとなってしまった。
運が悪いことに安房峠で事故があり大渋滞。迂回路なんて無い。危険は承知で追い越ししまくった。
そして、地元民のアドバンテージって言うことで、コマ図のルートは走らず、高速を使ってゴールへ向かった🤐
で、結局ギリギリアウトでゴールしたと思ったら、案の定ぜんぜん余裕だった。
「フ~。マジかよっ😆」て感じ。
とはいっても、無事ゴールできたことはほんとに嬉しかった。
表彰式(5月5日)白馬アルプスホテル
残念ながら3位入賞とはならなかったけど、たくさんのラリー仲間と知り合えたことが何よりだった。
「さぁ、次は何に出ようかな。」
この年はSWステージと、7月のNEステージの2ステージ制だったけど、さすがに仕事を休めず、夏休みで開会式だけ見学しに北海道まで行ってきた。
総走行距離2439.49km 【RESULT】総合16位 完走者33名
