ソフトブレーンの創業者。中国から日本に留学して、まさにゼロから会社を立ち上げて8年で上場、さらに5年後には東証1部上場と、紛れもない成功者ですが、宋さんの文章には嫌みがない。読後感がさわやかで素直に納得ができます。大前研一の文章が、すごいと思う一方で偉そうな感じが鼻につくのと対照的な感じがします。(いや、大前研一の本も好きでよく読みます。)
これまでも宋さんのメルマガなどを読んできましたがが、今回まとまった文章を読んだことで、このさわやかさの原因が分かったような気がしました。宋さんは自分の間違っていたこと、消し去りたいような過去とも謙虚に向き合っている。自分の失敗談、弱いところを見せることで共感を得ようというような姑息な感じではなく、本当にまじめに自分の失敗と向き合って分析している。自分の実際の体験と、それに対する深い内省を元にした文章だからこそ、さわやかで納得感があるのだと思いました。
例えば「家族経営の失敗」。当初、日本流の「家族経営」を見よう見まねで実践したところ、逆に社員に敬遠され、社内で孤立してしまった。その原因はいろいろ分析されていますが、表層的な分析にとどまらず、根底に「私の過度な依存心」にあったという分析にはっとさせられました。自分自身振り返れば、会社に対する不満、社長や上司に対する不満、家族や友達に対する不満、あるいは国や制度に対する不満なども裏を返せば自分の他人に対する依存心からきていることに気がつきます。
「依存心をなくしたい」
他人に頼らず自立して生きていきたい、とは誰もが考えることと思いますが、一方でどうしたらいいかわからない、会社勤め、すなわち誰かに使われることによってしかお金を稼ぐ方法がわからない、すべての責任を背負うのが怖い、だから、誰かに頼りたい。言われたとおりに働くから、定年まで会社に面倒を見てもらいたい。定年後は国に面倒を見てもらいたい。
みんな国や会社をそれほど信用していないけれど、強い依存心を持っている。依存心があるからこそ不満も高まる。
中国のように戦乱や文化大革命で、財産を奪われたり国を追われ、誰も頼る人がいない異国の地で、自らの判断で選択し、リスクをとって、人生の荒波を乗り越えようとする華僑的な生き方からすれば、国や会社に依存した生き方は親離れできていない子供のようです。高校から大学にあがる頃、自由にあこがれる一方で、親から離れて一人で生きていくことへのおそれとともに、親への不満が渦巻いていたことを思い出しました。
「三把刀(サンバダオ)」
そうは言っても、どうやって生きていったらよいのかわからない。どうやって「生き残る力」を手に入れるのでしょうか。華僑では、世界のどんなところに行っても、大きな資金がなくても、体一つで始められる仕事のことを「三把刀(サンバダオ)」というのだそうです。その意味するところは、1、最初から斬新なビジネスは始めない。まずは現実的なところから初めて、資金をためながら、チャンスを探す。2、何かよいビジネスがないかとぐずぐず考えていても意味がない。とりあえず身近なビジネスから始めてみる。
ヤキモチに対する対処法
もう一つ示唆に富んだ話として、ヤキモチに対する対処法がありました。自分のヤキモチと他人のヤキモチ、どちらもやっかいなものです。自分のヤキモチは、理性でヤキモチをやめようとするのではなく、「自分はヤキモチを妬いている、とただ認める」「他人のヤキモチは「正義」や「モラル」の顔をしてやってくる。」「ヤキモチに対する耐性をつける。他人の言葉をひとまず受け止め、自分にとってよいアドバイスなら受け入れるし、的外れな指摘なら耳を貸さない。全く的外れなことを言われると、感情的にもなりますが、「まあ、どうでもいいか」とうけながす」
宋さんほどヤキモチを妬かれるような立場になったことはありませんが、無駄なエネルギーを使わないためにも、心得ておきたいところです。
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