終末のフール

以前のエントリ で、読み始めたと言っていた伊坂幸太郎の「終末のフール 」ですが、結構前に読み終えたにも関わらずエントリできずにいました。

ということで読後少し経ってしまいましたが感想を。


以前のエントリで、「死神の精度」と同様、条件設定が肝といいましたが、「死神の精度」とは明らかに異質な作品でした。

簡潔に言えば「死神の精度」は娯楽性の高い作品であったのに対し、「終末のフール」は世界そして人生の終末をメインテーマにした重めの作品といったところでしょうか。

ただし設定の妙といいますか、単に終末が分かっている世界というだけではなく、終末が分かって世界が混乱した後の一時的な小康状態にある世界としているところが、この作品のメッセージ性を大きく強めているなと思いました。

なぜガソリンが日本にあるのかとか、なぜ未だに警察やマスコミが機能しているのかとか、色々非現実的に思える点もありますが、終末が分かった時点で世界が混乱し、多くの人が絶望し死んでしまうという点については極めて現実的に思えました。

そしてその混乱の中を生きぬいた結果、登場人物たちにつかの間の平和が訪れ、落ち着いて終末と向かい合うことができ、その中で生きることに付加価値を見出していく姿には清々しさを感じると共に心を動かされます。


終末までの時間は言わば余命。

体の自由さに差こそあれ、こういう状況下に置かれた登場人物の心理状態は、余命を言い渡された不治の病の患者のそれに似たものがあるのではないでしょうか。

まったく自分や周りの人がそういう状況になったことがないので、それは甘い想像なのかもしれません。

でも、余命が分かった時点で襲うであろう絶望感、しかしその状況下でも生き続けることで、冷静に人生の終末と向き合って生きることの価値や希望を見出すことができ、生きる可能性が残っていることをわずかでも信じ続けて生きていくことができるのかもしれないなと思いました。


もし、自分や家族もしくは周りの誰かが不治の病にかかってしまったとき、当然そんなことは決して起こって欲しくはありませんが、そんなときにはまたこの本を読み返そうと思います。


帯紙のフレーズ、

この命をあきらめない。生きる道のあるかぎり。

「あきらめる」という動詞になんだか悲壮感が漂っていて、若干違和感を覚えました。


死んでも死なない、死んでも死なない

最終編のこの最後のセリフのような理屈抜きの前向きさこそこの作品のメッセージそのものではないかと。


いやね、絶望に打ちひしがれそうな人がいたらこの作品をお薦めします。

俺も死んでも死なねぇぞ!!!!って思えますよ。きっと。