明治生まれの祖母が亡くなった。

もう数年前からコミュニケーションもとれない状態になってたのだけれど、

いつもきちんとした身じまいで和裁や編み物や料理をプロはだしにこなす気骨のある明治女だった。


私は夭折か長命という極端な家系なので、身内の葬式に最後まで立ち会ったのはこれが二度目だ。


前回、叔父の時は、田舎のこともあってか広い座敷に敷いた布団に寝かされていた叔父の、通夜があけた朝方の親族による納棺や、様式美にみちた葬儀、焼き場の煙突からたちのぼる白煙、竹を荒削りに切った箸で橋渡ししてのお骨あげ…

といったことが強く印象に残っている。


今回祖母は都会の病院で亡くなったので、通夜の会場に駆けつけたときにはすでに祖母は棺のなかにいた。プロの「おくりびと」の手によって式場到着後さっさと棺に入れられたらしい。


百歳を超えてもあまり皺のない、まだまだ髪も白くない祖母の顔はちいさくなっていて私の良く知る顔とはまったく別人だったけど。



都会の葬儀は味気ない。


焼き場も煙突から立ち上る煙などは見ることもなく、ずらりと並んだ炉に、ひっきりなしに執り行われるお骨あげ…

お骨の橋渡しもしないで各自ひろって骨壷に納めてくださいという係員の説明だった。


「お骨ののど仏は普通は融けてなくなってしまうけど、徳の高い人のは奇跡的に焼け残るのだ」

と子供の頃に田舎の叔母か祖母か誰かから聞き、実際田舎の大きなお仏壇には徳の高かった祖父の「のど仏」が綿に包まれ、前面がガラスになった白木の容器に安置されていたけど、

あれはやっぱり首の骨で本当ののど仏ではなかったのかな。


祖母の「のど仏」といわれる首の骨は、係員の手で拾い上げられ父の手で骨壷に納められた。