とりあえず、犬猫からの~。
アイスノン枕。
暑い様だが、別に冷たいモノで冷やすのは好きじゃないらしく、すぐに捨てられたw
拾われ犬「R2」歳は不明ですが、何となく5~7歳くらいかと。
ラーフが、今はまだ元気に散歩もしてますが、もう、いつ死んでもおかしくない時期に来てますね。
僕は今まで飼ってきた動物たちは、実家の一畳ほどの小さな庭の木の下に埋まっております。
小さい範囲に大小合わせて10体くらい埋まってますので、次の子を埋めるときに掘ると骨が出てきます。
さすがにラーフはデカイので火葬でしょうね。
とまあ、何の話だと思いますでしょうか?
「御盆」ってことです。
人間の死なんて、知識を持ち意志ある生物なんで、さほど気にしなくてもイイと僕は考えてます。
死は、いつもそこにあるコトで、結局は死ぬということを理解して生きている生物なのだから、どんな形だろうと、死ぬときは、心して死を受け入れるべきだ。
不服な死でも、ツバ吐いて、運命を恨むしかない。
本当に心底納得いかないなら、頑張って幽霊化するか、そうならないようにアチコチできるだけ頑張って気を配って生きておこう。
まあ、それでも、死ぬときゃ死ぬんで、ソコソコ覚悟はしておくべきだ。
てコトで、僕は、日本で悠々と生きてて死んでいく人の【死】は差ほど重く捉える必要はないと考える。
「そんなのこと考えて生活してないよ」なんてのは、思考出来る生物として足りてないだけなので、申し訳ないが知ったこっちゃないので、ごめんなさいw
で、問題は、このブログをご覧の皆さんの中でも飼われてるであろうペットだ。
動物というのは、死を理解できずに生きているらしい。
しかも短い。
その短い寿命を、人間によって制限され、生かされる。
もっと、言えば、容姿、形(大きさ)、気性すらも、掛け合わせやら何やらで人間好みに創られた生き物だ。
飼われなければ、飼われなかったで、速攻寿命を絶たれる。
そんな生物を、人によっては金で買う訳だ。
まあ、救ったということにもなるのだが。
しかし、そいつらは、ナニも知らない。
己の存在に何ら不思議を抱かない。
人間の身勝手で、創られ、買われ、死を知らずに、飼い主を信じ、理解も出来ず「死」んでゆく。
だから、そいつらに関わったのなら、その人は、その責を負わなければならない。
真摯に、その命を考えねばならないし、死後も尽くさないといけない。
それが、その生き物へ感謝と贖罪であり、責だと考えるのだ。
だから、それに気が付いてから、僕は、そいつ等の墓参りだけは、欠かさない。
まあ、本当に重要なのは、そいつ等が死ぬ前までで、どれだけそいつ等と楽しく生きたかだとは思う。
死んだ時に意味もなく泣くような、自分が大切なモノを失うことが悲しいという感情で泣くような愚かなことにならない様に考えて生き合うこと必要なんだと思う。
死者を想うとき、死者に想いを馳せるのはもちろんだが、【死】を意識し想うことにより生きることと、生きている生命のこと、その関わりやらなんやらをもう一度考えるべきであり、それこそが御盆【墓参り】において人が伝えようとした重要なことでなのではないかと考えたのです。
と、まあ、偉そうなウンチクらしきモノをたれましたが、ま、なんの根拠も資料もナニもないですw
高卒の馬鹿が、一人、テキトーに物事に付いて考えたその思考の結果です。
理解出来なくても何ら問題ないし、理解する必要も一切ない。