元ほぼ日刊エース~父親編~
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台風が来てるから岡山市が土のうを配布していた。
暇だったから土のういっぱい作って近隣で前回水没した建物に配った。
やらない善よりやる偽善。
我ながら良いことをしたと清々しい自己満足で帰宅していた時、ふと思い出したことがありUターンした。
するとパトカーが追いかけて来て捕まった。
警察は仕事をしただけだ。わかっている。
でも心がひどく荒んだ。
今日ココに悪が産まれた。



一番被害が酷い地域の声を聞いたところ、物資は要らないから泥や匂いを洗い流せる水が必要だそうです。飲料水は腐るほどあるが洗い流す水が無いとのこと。
あと物資を載せてきたトラックが物資を降ろした後ゴミを積んで帰ってくれれば良いのに…と思っているそうです。

やらない善よりやる偽善よりやる善

今日のフリック入力練習を終わります

昨日書いた記事をもう消したい。
病気なのかもしれない。
夜中に書いた手紙は出さない方が良い
とは良く言ったものだ。

何かにログインする為に生年月日を入れたらアラフォーの為の〜みたいな商品がズラーっと並んだ。
今までに感じたことのない気持ちと吐き気がした。
月日の流れだけは裏切らず確実な仕事をやってくれて頼もしい限りです。

本日のアラフォーフリック入力練習を終わります。
ワシみたいな者を心配して連絡くれた遠方の方々ありがとうございました。
遠い過去の記憶になってしまった一緒に囲んだ鍋の味を思い出し、温かい気持ちになれました。

さて、御冥福をお祈りしつつ、果てしなく続く泥かき、思い出の詰まったモノの大量処分、などなど色んな感情が飛び交っている被災地でございます。
そしてテレビ、新聞、ネット等々色んな想い、議論が飛び交っております今日この頃ですが、ちょっと腑に落ちないことがございましたので忘れないように書いておこうと思いブログを久しぶりに開きました。

比較的災害の少ない我が大都会岡山だからなのか、避難指示が出ても殆ど避難してる人は見当たりませんでした。
それどころか大事な人をすぐ運べるように避難所に指定されているところを3箇所くらい確認しに行ったのですがカギすら開いておりませんでした。
ならやっぱり大したことねーのかな?って思うじゃないですか(笑)
結果的に自分の地域は大した被害無かったですけど一歩間違えれば…という状況は目の前に迫っていたと思うのです。
要するに、こりゃヤベー!と思って避難しようとした頃にはもう避難できない状況になっている筈だと確信したのです。
実際に被害の大きかった地域でも同じような状況で判断が遅れて被害の拡大に繋がってしまったのでは?と勘繰っております。
逆に避難指示が出てるけど大丈夫だと判断して避難せず実際に今回大丈夫だった地域の方々は次回も益々大丈夫だと判断して避難しないと思うのです。

要するに、
避難指示って何かね?
特別警報って何かね?
ってことです。

発信する側もタイミングが凄く難しいと思いますし責めるつもりも全くごさわいません。ただ、大半の受け取る側は言葉の持つ意味・意図ほど深刻には受け取らないと思います。

『避難指示って言ったでしょ?特別警報って言ったでしょ??』
「もっと強く言ってくれないとわからない!区が市が国が私達を守ってくれなかった!!」
というような責任の擦り合い、責任転嫁、責任放棄、等々不毛な議論はお止めいただいてですね「結局は自分の身は自分で守らなきゃいかん!」と、日頃から意識高く心の準備、頭の体操をしておくことで、避難指示・特別警報、等の言葉に重みを持たせることからはじめるべきなのでは?と思うのであります。

頭じゃわかっていても実際なかなか体と心は動かないものなのです。
目先のお金や空疎な夢を追いかけるのを極力やめ、些細な見栄を捨て、SNSをやめ、日々もがき苦しみながら自問自答を繰り返し、考え、勉強し、家族や友人をはじめとした近しい人の人生、歴史を意識し、そして日本人とはなんなのか、と考えるようになり自分で言うのも変ですが私は本当の意味で少し人に優しくできるようになったと感じるのです。
あくまで過去の自分と比べたらですが。
そのきっかけを与えてくださった西部邁先生が自裁されました。
著書や講演では濃厚に仄めかしておられましたが本当に実行されると哀しい気持ちが抑えても抑えても湧いてきてしまい、この想いを記録し少しでも気を紛らわせたくなり封印していたブログを書くボタンを押してしまいました。

初めて講演を拝聴させて頂いた時はサッパリ何を言っておられるのか分かりませんでした。
討論番組に出演されているのを拝聴させて頂いても話は長いし回りくどいし何を言っておられるのか分かりませんでした。
著書を読ませて頂いても難しくて分かりませんでした。
しかし、紡がれる何か人間味溢れる言葉に惹かれ少しでも理解したいと思うようになりました。
ですが、まだ全然理解できていません。
これからも自分で考え続けるしかありません。
すぐに新しいモノに飛びつき盲信してしまう大衆は、文化伝統といった長い歴史の中で培った人間の知恵を忘却し、間違った選択をしていることにすら気づかず滅びていくので、せめてそれらを笑って過ごせるユーモアを持とうぜ!
簡単に書き過ぎですが先生に教えて頂いたことを無理矢理書き現すと今のところこんな感じになります。
陳腐な表現しかできませんでしたが一見非常にネガティヴに感じますが私には光を感じポジティブな気持ちになれます。このバランスが本当に美しく思います。

現在の私の耐え難い平凡な暮らしを支えて下さり本当にありがとうございます。
先生に出会わなければとっくに心折れて無様な亡骸を大切な人達に晒していたと思います。
これからも先生の残して下さった美しい言葉を歳を重ねながら拾い集めたいと思います。

実は私は死ぬわけはないのだ。「私」とは「言葉としての私」なのであり、その言葉を支えているのは伝統である。そしてその伝統が不滅なのであるから、私は死なないし、死ねないのである。死ぬことができるのは単なる生命体としての私である。

ご冥福を心からお祈りする人は生まれて初めてです。
ご冥福をお祈りします。

ところで、所謂真の保守らしい人が絶滅しかけております。
今回の自裁に何を感じるべきなのか。
現総理は挫折されていた頃に羨ましくも西部先生に手を差し伸べ頂いていたそうですが、その教えは少しでも伝わっているのでしょうか?
瑞穂の国の資本主義と、上手いこと現実とバランスの取れたことを言うもんだと当初は感心しておりましたが、昨今は近代資本主義の操り人形のようにお見受けできますが大丈夫なのでしょうか?
なるべく多くの日本人が笑って暮らせる世の中にして下さいね。他人任せでごめんなさい。

明日は月曜日、きっと世の為人の為自分の為になると思い込み小さな歯車となってまた働きます。
とりあえずはそれで良いんです。
皆様頑張りましょう。