朝から買える香辛料でどうにか麻辣湯に近いものを作れないかと、小さい頭を回転させて考えました。

その結果使ったのが、


五香粉

八角

花椒

花椒油

ヒハツ

葱油

ラー油 

生姜

豆板醤

鶏ガラ

味の素

※全て目分量


人によっては味変でバルサミコ酢。黒酢でも可。

意外とこれをやると近いです。

明日これらに加えてダシダ、ニンニク、一味、すりごま、ごま油を追加して味がこれより良かったらまた載せます。

朝から私は何をしていたんでしょうか。


さて、話題が反復横跳びくらい変わりますが、私は藤本タツキ先生の作品を全て買ってるくらいファンなんですが、今日劇場版レゼ篇46回目という気でも狂ったのかと思う回数ですが行ってきました。

やっぱり回数を重ねないと気づかないポイントや気づきがあるわけです。

ネタバレを大いに含むので見てない人はネタバレしていいやつか見終わったヤツが見てください。

46回目にして印象的だったシーンが3つほどあったのでそれほど個人的かつ主観的にまとめます。


①祭りのシーン

なぜ私にここまで強烈な印象を残したのか。

このシーンの中でもレゼがデンジの手を引いて走るところがあり、その際のデンジの表情が目が点で頬を赤らめているのがとても印象的でした。

尚且つ、私は2部の最新まで読み進めているのですが作中でこんな表情をしているのはこのシーンくらいなんですよね。

JANE DOEの「まるでこの世界で2人だけみたいだね」

という歌詞にも通ずるものを感じます。

恋愛独自の幸せに視野が狭まって行くような雰囲気を感じます。

これを普通のドラマやら漫画でやるならまだしも、チェンソーマンという血生臭い話が中心の漫画でこのような形で作れる藤本タツキ先生は本当に凄い(言葉が思いつかないよーー)と思います。


②戦闘後の砂浜

なんで私がここを選ぶのかと言うとちゃんと理由があります。

というのも、ここまでのレゼはモルモット(ソ連に訓練された)としての演技をしていたしていたことを告げます。(具体的にセリフを言っちゃうと見た時につまらないと思うから避けます)

そしてデンジを倒す任務には失敗しているので逃げようとするわけですね。

なんですが、デンジから「俺に泳ぎ方教えてくれたのは本当だろ?」という核心を突いていると言っても過言ではないことを言われてしまったし、デンジから「一緒に逃げね?」と言われてレゼがデンジに走って抱きしめるわけですね。

私が驚くのは、ここで王道的なヒーロー的展開に則って考えてみるとレゼは悪役に近いので倒して終わるとか考えてしまうんですが(私だと)、ここで共に逃避行を誘ってしまうデンジはよっぽど心の底からレゼのことを好きだったんだと思います。

まず、このような展開はやはり藤本タツキ先生にしか作ることができないと思います。

ここでレゼは任務をもう失敗しているので、演技をする必要はないのに頬を赤らめてデンジを抱きしめているんです。

これは私の解釈ですが、この状況だと演技する必要がないのにレゼはデンジを抱きしめているので本気で演技であったということがデンジを巻き込まないための嘘であり、本心からデンジのことを好きだったのではと思います。

ではなぜここまで言えるのか、次のポイントでより具体的になります。


③レゼが最後に二道に向かうシーン

ここでさらに②のなぜレゼがデンジのことを好きだったと言えるのかが決定的になります。

ここで論理的に偏って考えるとレゼが生き残るにはただ単に逃亡することが最もですし最初はそうしようとしていたと思われます。

ですが、駅に向かう途中と考えられるところで募金して赤いガーベラを貰っています。

そしてその後、新幹線のホームに行き新幹線の目の前に行くもののその赤いガーベラを揺らして見続けます。

これは決してスパイ(モルモット)としては不必要だと思いますし、合理的ではないと思います。

そして花を見つめてそのまま新幹線を逃して二道に向かうんですが、恐らく私の考えでは赤いガーベラを見続けていたのは、デンジと最初の電話ボックスで出会った際に貰った白いガーベラとデンジを思い出していて前述の戦闘後の砂浜で逃避行を誘われたことを思い出したと考えています。

そして二道に向かって目前で花束を持ったデンジを見て息を引き取りこの物語は幕を閉じるわけです。

そこで私がずっと考えていたのは、レゼは花束を持ったデンジを見れた事で無償の愛を貰ったと考えれば攻めても最後は幸せだったのか。

それとも、無償の愛を誰からも貰わなくても生き続ける事がレゼにとって幸せなのか。

これはもうジレンマだと思うので結論を出す気が私はありません。  

レゼはデンジとプールに入るという、自ら爆弾の悪魔としての弱点が目立つ場所に入るということもしていたわけです。

ただ、2人は過ごした期間というのが甘くて幸せだったのは間違いないと思います。

そして、その期間こそ替えのきかない価値があると私は考えます。

近年は価値というものが物質的な方に目が行きがちな気がしますが、こうした物質に残らない記憶にこそ価値が宿っている気がします。

もちろん、そんな抽象的かつ広義的なものを私が断言したり定義することは出来ませんが。


まとめ

46回目ならではの考察や個人の主観で考えてみました。

2部に入ってからどこかファイアパンチ的な進み方を感じることがあります。

藤本タツキ先生から今後も目を離せません。