わたしがこの世でいちばん信じられないものは
自分の心です。
大切に思う友人にラインをして
返信がないと
やっぱり私は嫌われてる、と思う。
返事の欲しいラインでもないのに。
見てもらうだけでいい、って自分に言い聞かせて。
でも、それはウソで
本当はちょっとだけでいいから
やりとりがしたい。
そりゃあ、世の中にはSNSが好きな人もいるし
「どうした?」って聞いてくれる優しい人もいっぱいいる。
でも、残念ながら
誰でもいいというわけではないから
他の誰かで穴を埋めるみたいなことをしても
うまくはいかないかな?
MISIAの歌のように
愛にもしカタチがあるのなら
その人以外はだれも
そのカタチを埋められない
きっとすきまができてしまう
大切な人、大切なモノ、大切なナニカを
失ったとき
わたしは途方に暮れる。
喪失の悲しみにおしつぶされる
これ以上悲しみに会わないうちに
この世を去りたいとさえ思うこともある。
大切な人が目の前からいなくなる
相棒だった犬が目の前に
冷たく横たわっている
いい年になればたいていの人は
そんな経験をして生きているかもしれない。
喪失のたびに自分を責めた
わたしがもっといい子だったら
わたしがもっと気をつけてあげていたら
自分の力のなさがつらかった。
だから、笑顔が笑顔で返ってこないとき
「やっぱりわたしは愛されない」
そんなふうに判断するクセがある。
そんな自分のクセを知って
人とのかかわりの中で
時に逃げて
でも、大切な人から逃げないように
何度も自分に言い聞かせて
心の奥では自分を信じているけれど
さみしくなると、子どものわたしがすぐに顔を出して
『ほら、やっぱりね
わたしなんかが愛されるはずないんだってば』
って、泣きそうな顔でため息をつく。
「ちがうよ」と私は言う。
すぐに返信が来なくても大丈夫。
だって、ほかの人のことはわからないの。
忙しいのかもしれない。
スマホをどこかに忘れてるのかもしれない。
そもそも、誰とも話したくないのかもしれない。
私だってそうでしょ?
人の心は宇宙より広いんだって。
生まれてからのいろいろな経験や
遺伝子に刻まれた遠い知らない惑星の記憶まで
塵芥魑魅魍魎が詰まってる。
感情は入れ替わり立ち代わり流れていく。
時にしがらみができて
せき止められて流れが滞る。
でもいつかはまた流れる。
大雨が降れば、せき止められた水が
あふれだすように。
だから、心配はいらないよ。
泣き顔のわたしにいつも言い聞かせているのです。