かなぽんの姉、子宮頚部腺癌の闘病記です。
緩和ケア病棟に入ったころ、
何もかも全てが気に入らなかった姉。
2週間たってどうなったか・・・。
やっぱり気に入らない!!
前の都内の病院の看護師さんとラインしていたようで、
いろいろと愚痴っていたらしいのです。
そんな中、お気に入りの(?)緩和ケア看護師さんも
数名いらっしゃいました。
1人は精神的なサポートもできる看護師さんでした。
姉の場合、食事も何もかもが介護状態でしたので、
必然的に看護師さんとの関係が濃密にならざるを得ません。
また、緩和ケアに入って気が付きましたが、
入ってくる患者さんは、年齢の高い方が多く、
長い闘病生活で、認知症を発症している方が
多くいらっしゃいました。
入院日数もごくわずかの方が多く、
入って2日~7日で亡くなる方が多かったです。
姉のように数カ月にわたりお世話になる患者は
本当に少ないようです。
また意識もはっきりしていて、
「あれはヤダ」
「これはダメ」
要望もはっきりと伝えられるので、
看護師さんも大変だったろうと思います。
はっきり伝えてくれる患者だから助かる、といってくださった
看護師さんもいました。
母も私も毎日通いました。
母は午後3時から7時頃まで。
私は午後3時から5時頃まで。
どうしても都合上時間帯がかぶってしまっていたんですが、
午前中は寝ているから来ないでほしいと言われていたし、
私も仕事があるので、午前中は無理でした。
母も午前中は家事と買い物と猫の世話。
ついでに父の世話(何もできない男なもので・・・)。
これでも母も私も家でゆっくり座る時間は全くありませんでした。
姉はいつも眉間にしわが寄っていました。
いつもご機嫌ナナメでした。
私「今日はどう?」
姉「悪い!」
背中をさすったり、足をもんだり、手足の爪を切ったり、
持ってきたフルーツ(大好物)を食べさせたり、
サーティーワンアイスクリームを買い出しに行ったり、
モスバーガーを買い出しに行ったり。
病室でも座る暇などありませんでした。
座れるのは、姉がおむつ替えなの看護ケアを受けるときだけ。
その時は私と母で、ラウンジで自販機のコーヒーで
「全くわがままなんだから!」
と姉への文句を言ってました(笑)。
姉にはもう誰かをいたわる気持ちはありませんでした。
いたわれるほどの余裕がない状態でした。