こんにちは、こんばんは。
お寄りくださってありがとうございます。
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今を精一杯生きているあなた、素晴らしいですね。
悩むこともたくさんあるでしょう。
ひとつひとつ解決したり、乗り越えたりして、がんばっていますよね。
「ありがとう。」
「がんばっているね。」
と、言ってもらえなくても粛々と仕事や育児や家事に、また介護にと、勤しんでいることでしょう。
好きな人がいるのに相手に気持を伝えられなくて悶々としてしまうことも
あるでしょう。
今の問題を片付けることは何より大切です。
けれど、10年後の自分がどうなっているか、どうなっていたいかを
考えてみたらいかがでしょうか。
10年間、お稽古事とか勉強を続ければ先生になれます。
昔は2年間の短大を卒業すれば、幼稚園、小学校、中学校の先生になれました。
今、教職に就くのはものすごく大変で、4年制大学を卒業してもなかなか
先生にはなれないそうです。
昔は日教組のおかげで気に入らない生徒を徹底的にいじめ、内申点を悪くして、
優越感にひたる教師のなんと多かったことか。
わたしは中学時代バスケットボール部でしたが、となりのコートは仕切りに
ネットを張って、卓球部が部活動をしていました。
体育館の舞台からバレーボールのコート、真ん中に卓球のコート、舞台から一番遠い部分がバスケットコートでした。
卓球台は部活動以外のときは舞台から一番遠いバスケットコートの端に置いてありました。
部活動が終わると、卓球台はその体育館の端に移動させていました。
バス通学する生徒は部活の時間の最後まで練習せずに先に帰りました。
わたしが中学3年のときの1学期の試合前の速攻の練習中に、
卓球部の生徒が卓球台をなんの断りもなく、いきなりバスケットコートを通して移動させ、パスを受けたわたしが振り返った途端に、卓球台がわたしに
ぶつかりました。
ぶつかった瞬間、わたしはぶっ倒れました。
打ったのは部分的だったと思いますが、身体全体にショックを受けました。
腰骨と膝に卓球台がぶつかったようで、腰骨がひどく痛み、ひざはパックリ切れていました。
病院に行って、4針縫いました。
ずいぶんとひどい怪我だと思いました。
そのとき、わたしに怪我をさせたのは卓球部の男子でしたが、男子卓球部の顧問の教師はほとんど部活に顔を出していなく、その日も顧問は不在でした。
悪いのはもちろんその男子ですが、責任は顧問の教師にあると思いました。
とても痛かったのですが、救急車は呼んでもらえず、女子バスケット部の顧問がわたしを近所の外科に車で連れていきました。
車まで歩くのもとてもつらかったです。
女子バスケット部の顧問の女性教師も問題教師でした。
卓球部がバスケットの練習をしている最中に卓球台を移動させていることに
何も注意しなかったことはこの女性教師の責任です。
病院から家まで送ってもらったのですが、母が家の前にわたしを迎えたとき、
この女性教師はへらへら笑って、
「どうも」
と、言ったきりでした。
母は病院に連れて行ってもらったお礼は言いましたが、
「お嬢さんに怪我をさせてすみません。」
とは言いませんでした。ひどい教師でした。
母も父も怒っていました。
ただ教師を怒らせると子どもがどんなひどい目にあわされるかを知っていましたから、黙っていました。
あとからわたしに怪我をさせた男子はお母さんとおばあちゃんと家まで謝りに
きました。
が、卓球部の顧問からはなんの音沙汰もなく、学校で会っても私が足を引きずって歩いていると逃げるようにわたしを避けていました。
普通だったら「自分の監督不行き届きで怪我をさせてしまいすみません。」と
言うと思いますけどね。
何のために顧問手当をもらっているんでしょうね。
それくらい昔の教師はレベルが低かったのです。
だからわたしは日教組が大嫌いでした。
悪いことしても日教組が守ってくれるから教師たちは平然と悪いことをしていたんです。
話が逸れましたが、
10年後の話でしたね、
何か得意なことや、好きなこと、やりたいことを10年続けてみれば
その道のプロになることだってできるんです。
詳しくはまた今度。
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とりあえず来年の愉しみにバラの苗を買いました。
1年後のわたしは何を学んでいるでしょう。
