都留晃一さんの書いていた記事の一部です。
たしか彼は死の間際に自分の考えに疑いを持ちましたよね。

私がこのまま生還しなかったら、私の今まで行ってきたことは信じないでくれと言っていたそうです。

思い通りにならなかったのが現実です。

でもこうして記事は残っています。

現実の創造者
(引用です。)

 皆さんは「自分の欲するものは誰の手を借りることもなく手にはいるのだ」と聞かされたとき、はたしてどのようにお感じになるでしょうか? 「あなたがこの現実の創造者」、私がお伝えしたいあなたへのメッセージはこの1点に集約されます。

 今、あなたの目の前に展開している状況は、全てあなた自身が表現した現象です。あなたの意識のこの物理世界への現れを現実と呼んでいます。それがあなたの表面意識によるか、潜在意識によるかは別にして、あなたの見ている、そして感じている現状は、全てあなた自身の意識を原因として顕現されたものに他なりません。この現象世界とは、意識という原因による、結果の世界であるとも言えます。(ここまで引用)



彼の考え方はニューソートやニューエイジのコピーです。スピリチャル関係の人の考えはだいたいそうでしょう。殆ど同じことを言っています。


意識を中心に考えています。

しかし、意識とは思考です。何らかの刺激に対して、経験した積み重ねたデータを参照することです。

意識の働きがあることは確かです。

意識とは反応でもありますから、命あるものは反応しますから、いのちとは意識のことです。

そして、肉体をもたない意識は存在しません。

記憶装置である肉体を持たない限り、過去の経験の記憶を参照することはできません。

参照する記憶がない限り、思考も意識もありません。

意識が始めにあるのではなく、肉体が始めにあります。

肉体は物質であり、現実空間の中にあります。

その現実空間で肉体が経験し記憶したデータがない限り思考も存在しないし、意識も存在しません。

ですから、私たちが見ている現実が幻だというスピリチュアルの考えは間違っています。

幻という言葉さえ、この物理空間がなければ存在しない言葉です。
物理空間が先、それに対して、創り出された観念が幻です。

私たちが赤ちゃんの頃の意識に比べれば、大人になった意識は格段に覚醒しています。

それは、たくさんの経験を積んだからです。

物理的経験があって初めて意識が働くことができるのです。

意識は働きであって、確固とした存在ではありません。

完全に熟睡しえいるときは思考は働きませんから意識はありません。

肉体の目覚めとともに意識も働き始めます。

意識が中心なのではなく、肉体が中心なのです。

物理空間は意識が描き足している幻影ではありません。

その逆です。

そしてスピリチュアルの人たちの説明は三次元世界にあるものに頼って論理を組み立てています。
論理といっても本当の論理ではありません。

目覚めるという言葉も、肉体が目を覚めるということを確かなものとしなければ比喩につかえません。

ハイヤーセルフも今自分と意識しているものが確実でなければ意味のない言葉です。


ニューソートやニューエイジの考え方をコピーしなぞらって現実を見ている姿勢は覚醒などとは程遠いのではないでしょうか。

ニューエイジはマインドビジネスとして日本に入ってきました。
エンターテイメントとして楽しむ分には良いと思いますが、ビジネスとして間違った考え方を広めてしまうのはどうかと思います。

アセンションも起こりませんでした。
コピーではなく自分自身で考えて、たんに誘惑的な言葉や思考法を捨ててゆくのが本当の覚醒ではないでしょうか。


わたしもこのブログを始めたころははまりましたが、すぐに疑問を感じるようになりました。

くれぐれも、セミナーやセッションなどのマインドビジネスに騙されないようにしましょう。

悟りでも覚醒でもありません。
新しい思い込みを取り入れただけです。

気づきでも悟りでもありません。
捻じ曲げられた考え方を受け入れただけです。


それより日々の生活の中で生活の質をあげることに努力するほうが本当にまともだと思います。


いかがでしょうか。