未来は
未体験の世界で、未知の世界でです。
それは思考、そして想像の世界にのみで存在する存在です。

そして、過去も実在せず、これも創造の世界です。

実在するのは「今ここ」にある瞬間です。

それ以外のものはすべて、思考の働きによって生み出されているものです。


実際に存在していないものでも、思考の世界では存在できます。
思考の世界は「想像」による仮想空間です。


私たちの肉体の一部である脳は思考の働きを持っています。
情報収集と過去の情報を参照する働きです。


思考の対象となる材料は過去記憶です。

つまり、肉体が経験よって得たデータと、それを加工したイメージです。

思考することによって、思考内容がデータベースに蓄積されてゆきます

私たちが見ている現実は、そのデータベースを解析したものです。

データベースに無いものは考えることができません。
いくらパソコンで検索してもデータベースにないデータは調べることができません。


経験によって新たなデータが書き加えられたり、修正されたりします。


身体に組み込まれた思考の働きを「こころ」と言い換えましょう。
「こころ」が観ているものは常に、過ぎ去っている過去の情報です。


「今」は一瞬のうちに過去になります。

「今の今という現在」は私たちが意識したちょっと前に終わっています。

私たちが、今起こっていることを、認識するのにはタイムラグがあります。
刺激が脳に届きそれを認識するまでに時間が必要だからです。

ですから、「本当の今の瞬間」に起こっていることを私たちは認識できません。


マクルーハンは芸術家だけがそれを知ることができるといいました。
現在起こっていることを直感するという意味かどうか良くはわかりません。

とにかく、「今ここ」という瞬間があることは想像することができますが、それに意識が触れることができません。

その瞬間を「こころ」は認識していませんが、無意識である肉体は、そこに存在しています。
存在できるということは、肉体は無意識にその瞬間を理解しているということです。

マクルーハンはこう表現しました。

私たちの意識を車の運転手にたとえました。

その運転手は、バックミラーを見ながら未知の未来に向かっていると・・・・・

バックミラーに映ったものが私たちの意識の内容です。

すでに通り過ぎてきたものです。

厚さのない、バックミラーが今の今という瞬間の存在であり、そこに実体があります。


ニューエイジたちはスクリーンと表現するかもしれません。

しかし、彼らは間違っています。

意識の存在は、肉体による経験の後から現れません。

肉体による体験によって得たデータベースを参照しているのが意識の正体です。

肉体による経験がアプリオリです。


今体験していると感じているのが現実です。
しかし、それをどう感じるかは、それをどう考えるかによって決まります。


ニューエイジ運動には仕掛人がいます。
自分たちが起こした過ちの責任から目をそらそうとしました。


現実から逃避させるための思想と私は考えています。


はまっていたら、要注意です。


ニューエイジの考え方は、一時的には癒されるかもしれませんが、問題を解決したわけではありません。


ニューエイジは一種の宗教です。
薬のように、一時的に癒してくれるかもしれません。

しかし、よく効く薬ほど副作用が強いことに注意しましょう。