前回の記事で書いたとおり、妹が他界しました。

その妹のお骨を田舎のほうに先日、姉と持ってゆきました。

水戸のインターチェンジでおりて霊園に向かいました。
しばらく訪れていなかったので、かなり道に迷いました。
田舎はあまり標識がないんですね。

納骨が済んだあと、私たち兄弟が育った古里が、霊園の近くにあったので足を伸ばしました。


あの子供の頃、豊かだった世界が、箱庭のように小さな空間でした。
あの世界は消えていました。


どうしてあの頃はあのように感じていたのでしょう?
あの世界はどこに行ってしまったのでしょう?


ひなびた私たちが育ったふるさとを見て、なにかやるせない思いがしました。



たぶん、ふる里自体ははそんなに変わっていないはずです。


私たちの認識が変わったのでしょう。
ずっと続けて住んでいると感じ方も違うのかもしれません。


情報量が変わって思考が変わると現実も変わってしまうようです。