福岡正信さんというかたは うん十年も前から 、無農薬や小農薬というかたちでの農業に勉め、 それから はげ山の緑化をした人です。
この方法は アメリカ(ユダヤ)国日本、保守的な国である金銭国家日本、仏教だけど尊厳が互いにあまりない日本ではうまくなされなかったようですが、
かれが各国から呼ばれ、そこへ行き、そして、その当時の各国の若者や主婦たちがあつまり、かれの講義を聴き、そして、たねを泥団子にうめて、作物を作ったり、米作りでも農薬の使われない田んぼの作り方を身を持って、実現してきた人です。
そのため、世界各国では、この方法、けっこう知ってたり、講義されてたり、やっていたり、庭先などの空いてる場所で 種を入れた泥団子を適当において、自然のそのままの力で生えるかしこくつよい野菜を作っていたりするようです。
わたしは彼の方法でできたとても強いコメが食べてみたいです。
彼の方法(雑草を抜きません)でなくても、雑草を抜く手間はかかるけれど、ある地域では、もう何年も前から無農薬のコメ作りが行われています。
食の生命力がないと、ニンゲンもその通りになる傾向がある、という考え方から。
ですが、日本人はもともと米と漬物とかそういった旬でシンプルで、毎日毎食 同じようなものを食べてきた民族なので、
今の西洋の栄養学は日本人の腸にはあってないと思います。
簡単に言うと、お金のある人もそうでない人も、あれこれ、栄養を考えて、ではなく、こうした基本的に生命力の高いものをとっていれば、大丈夫かと思われます。
ただ、いままで、お菓子とか濃い味のものになれて、グルメ食が(わたしも含めてですが)たいていの方は好きになっていますから、
最初は、シンプルでいい、という食のあり方が逆に合わないかもしれません。
逆に飢える感覚があるかもしれませんが、
それは緑や鳥や動物、生命とのごったがえした、しかし協調の生活からほど遠く、なっているせいもあるかと思います。
そうした環境に身を置くのと離れているのとでは、かなり、差があると思います。
だれでも、空気や水がおいしい方が生命力はアップします。
だれでも、危険な電波やそういった環境から離れていると、心身も穏やかなように。
ちょっとあのアジアの国のように、路上で気軽にエアロビしているくらいラフな生活があるのと、日本みたいにお互いの作法ばかりを意識しすぎているのとでも、差があるように、
気の合うひとや気の合うメンバーと過ごす方がはるかに一日は終わった時に満たされているはずです。
わたしもいろいろ食べることは好きで、あまり考えていませんが、そうしたことをしていると、どんなにわたしたちはいらないもので暮らさなければならない職業、金国家に生きているのかしら、という思いはあります。
そうして経済のためという暮らしが変わるならば、
今までのお金のあり方も生き方ももっと変わるでしょうし、地球人として生きる、という感覚は強まるかもしれません。
以下のURLの彼は、農薬ではなく、たしか、酢で(害虫を殺す方法を農薬から切り替えた) 自分のリンゴの木を作った人です。
もともと、リンゴの木は、たぶん、ニンゲンが育てなくてもなります。
ロシアのひとが、リンゴを食べたときに知らずに虫まで食べていたら、最悪だ、という冗談がありますが、
そういうことですね。
でも、これから、日本はそうした意味で 遅れている 、経済はお金のための経済で、ニンゲンののんびり暮らせる環境という意味では、まったく離れてしまっています。
ですから、中国では、色のついた汚染川になってしまったり、ロシアの郊外の町では、電池までなにもかも燃やされた煙で空はいつも灰色で、変なにおいがします。
これがお金中心の経済、という意味で、いつ病気になって働けなくなり、生活に支障が出るといっても過言ではない環境です。
アフリカでも、ちゃんと、緑や食物、フルーツを守って成長していれば、今までいた動物や食べられたであろう食べ物、も 守られたであろうが、
わたしたちの「経済の成長」のためにどんなにたくさんの食べ物や生命がアフリカからも人々の自由に食べられる権利からも消えただろうか。
尊敬のなさです。
まず、最初に生命は守ろうとか発展しようとかじゃなく、
尊敬されることから(できたら、あらゆるものへ)始まるべきではないでしょうか
よく、移民と言われますが、アフリカがそのように食べられる場所を侵されることがあったとしても、協力して守れたならば、アフリカ人が信じられない都会の外国に移民する、なんて必要もなかったはずです。
わたしたちがいつも問題を作るのは仕方がないことですが、人間同士でも、いかなる生命に対しても、尊厳のないことがこうしたマナー違反が3つでよかったのに、9つもつくっていると言わざる得ない、マナー違反がこの行き過ぎたエコノミーの頂点で、生命は尊敬という意識などあまりないのは事実です。
宗教と略奪主義の恩恵のうえにあることも耳の痛い話です。
しかし、気づいたからには、なにかをやめるか、もっとべつのかたちに移り変わることができる。結局それは、わたしたちのためであります。
べつに動物や水に尊敬を持っているからではないですよね、恥ずかしながら。
しかし、そこから始まった意識でも
生命や大地や水を守る、ということだけではなく、
動物にも配慮しなければならないでしょう。
土地もこれからは人間が使いすぎないように国際的に守られる必要があると思います。
植物も動物も多少、ごった返して生きるということはたやすいことではないです。わたしたち、日本人は美意識があるからです。
そういうものを許せないから、かれらをすぐ保健所に行って殺してクリーンにすれば、農薬を使えば、クリーンに解決するという頭はあります。
わたしたち、ができることは時々アジアを旅行して(これは比喩ですが)、どのように自然や動物と調和して、いるのかみて、
余計なことをしない努力をまねて、余計なことでむだに動物を殺したり売ったりすることでcruelな経済を成り立たせるのではなく、ということを胸に刻んで・・
そういうことしかできないかもしれないが、
意識があるのとないのでは、かなりの差があると思います。
金のために生きる意識では、自然も動物も生命の命も将来あやうい。
原子力の金儲け、だれもnoと表現せず、意識の流された先が311ということも見る必要があります。
今のままで、こころもさびしく、まずしくなる。問題は解決できなくても、ちょっと考えてみること、意識することだけは誰でもできるのですね。
子供の遊ぶ川を取り戻すのは日本では簡単かもしれない。
その川にいる魚を殺さないようにする努力、あるいは、たぶん、水質改善できる技術さえ隠れに隠されながらも持っているとおもいます。
主や神様は遠い天にいたり、断食をする人でもないし、善人でもない、政府でも先生でも、たぶん、ニンゲンというわたしたちでさえないです。
ときどき、私たちが心地よいと呼ぶ それ
平和な意識なのだと思います。
うまく、行くといいですね。
これは、病気と大きくかかわっている話です、病気ということが出てこなかったけれど・
なにかをするよりも まず 意識と 自分への尊敬。それがあると、他の生命を尊敬できるのですね。
そうすると、シカは食べても、シカをcruel意識から殺さなくて済むようになります。
環境が自然で平和でごったがえす生活はとてもtropicalでたのしそうです。むしろ、そのほうがクリーンになれそうです。
