まばゆいフラッシュの光を浴びた栗山監督から、熱い言葉がついて出た。「全てを懸けてチームが前に進むように、少しでもチームの力になれるように、選手のためになれるように、前を向いてしっかりと走っていきたいと思います」。控えめながら魂を込めた所信表明。ひな壇の上で、野球評論家から監督へと気持ちのスイッチを切り替えた。
自ら選んだ背番号は「80」だった。「野球人としては、全ての面で勉強されていて名将の元祖」という三原氏が、1971年から3年間指揮を執ったヤクルト時代に、背負っていたナンバーだ。「ヤクルトに行って三原さんが唯一、Aクラスにチームを導けなかった」。歴代2位の1687勝を挙げた名将も、最後にユニホームを着たチームでは成績を残せなかった。しかし、栗山新監督は言う。「大先輩に少しでも近づけるような形でやっていかなければいけないという思いで、自分は80番に決めました」。理想とする監督像が背番号に表れた。
課題は明確だ。今季はリーグ中盤まで、ソフトバンクと優勝争いを演じた。だが、打線の不振もあって9月以降11勝26敗3分けで、2位に終わった。「どうやって点を取るのか。やっぱり点取らないと、投手を楽にしてあげられない。そういう力を持った若手選手が、いっぱいいると思う」。中田らを鍛え上げ、得点力アップを図るつもりだ。
11日には、選手全員と顔を合わせ、あいさつを行う。「誰よりも勝ちたくて、みんながヒーローになってほしくて、そういう熱さは伝えたい」。熱弁を振るい、まずはナインのハートを奪う。
◆栗山 英樹(くりやま・ひでき)1961年4月26日、東京・小平市生まれ。50歳。創価高―東京学芸大に進み、83年のドラフト外でヤクルト入団。右投両打の外野手として活躍し、89年にはゴールデングラブ賞受賞。右ひじ痛、めまいや吐き気を伴うメニエール病の影響もあり、90年に29歳で引退。現在は野球評論家、キャスターを務め、白鴎大経営学部教授で教壇にも立つ。通算494試合出場、打率2割7分9厘(1204打数336安打)、7本塁打、67打点。23盗塁。176センチ、74キロ。
◆三原マジック 56年から西鉄(現西武)を3年連続日本一に導いた三原脩氏が、大洋(現横浜)の監督に招聘(しょうへい)されたのが60年。前年セ・リーグ最下位で他球団より戦力が劣っていたが、投手にも偵察要員を起用するなど、ベンチ入り選手をフルに活用。1点差試合に34勝17敗と接戦をものにしてリーグを制覇。大毎(現ロッテ)との日本シリーズでも圧倒的な不利の予想を覆し、すべて1点差で4連勝。名采配で、文化芸術などに業績を残した人物や団体に贈られる菊池寛賞を野球界で初めて受賞した。
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