「ヤングコーンはね、そういう品種があるわけじゃないのよ。トウモロコシになる前の子供のコーンのことを言うの。」と妻が言った。「知ってた?」

その畑に6時30分に着いた。
78歳になる畑の主たるご婦人は、背丈より高いトウモロコシが生る列と列の間に身を置き、すでにヤングコーンを捥いでいた。薄緑の葉に覆われたコーンが、間隔をあけながら山積みにされている。
僕の役割は、コーンを空の米20キロ袋に詰め込んで、車が留めてある所まで運んでいくことだ。
僕のいる列の隣の列からは、ヤングコーンを捥ぐ音が聞こえる。
刃物は一切使っていないのだが、捥ぐというよりも鷲掴みにして切り落としているといった力強い感じで、その年齢のご婦人が生み出す音とはとても思えない。

袋を列の先端まで運んでくると、作業帽をかぶり布巾で目だけだして顔を覆っているご婦人と妻が話をしていた。
「昨日は、隣の畑の収穫だったのよ。今日中に、ここの収穫は終えないといけないから、ここんとこずっと忙しいの。この冬は、山梨に120年ぶりの大雪が降って、どうなるかと思ったけど、少し時期は遅くなったくらいで、いい感じで育ったわ。」
「本当に良かったわね。毛の部分は捨てないで、水洗いだけして、麺つゆで食べるとトウモロコシの香りのする繊細な素麺のようになって、おいしいわよお。」
「それは知らなかったわ。なにしろ、収穫だけで精一杯だから、そんなこと試したこともなかったわ。」
妻は、生産者においしいヤングコーンの講釈をしている。

妻の言い伝えのよると、ヤングコーンの収穫のタイミングは、その日一日しかないという。ひと雨降るだけで、捥ぐタイミングは早まるし、気温の上下次第でも早くなったり遅くなったりする。三日前に、妻のところに電話があって、日曜日がその日になるから来てくださいとのことだった。
 一本の幹に生っているヤングコーンを、一つだけ残して他は全て捥いでおく。どの一つを残すかの見立ては、ご夫人の長年の経験から培ったものでしかない。養分が一つのコーンに集中するので、極上のトウモロコシが出来上がる。成熟した選ばれしコーンは“甘甘娘(かんかんムスメ)”として世に出て行く。

 一枚、一枚、葉を落とすと中指くらいの長さで先の尖ったコーンが姿を現す。人差し指と親指とでつまんで口に入れる。プリッとした食感、次の瞬間にははじけるように甘い汁が口の中に飛び散り、コーンの香りと味が支配する。
「うまい!」