こんばんは。
たかひろ改め、takahiroです。
こっちのほうがなんとなく落ち着くので(笑)
お見知り置きを。
ではでは、今日のトピック。
世の中は本当は不平等であるということをつらつらと書いていきたいと思います。
最近、平等って言葉や平等を目指す取り組みがよく見られますよね。
男女平等!とか、格差是正!とか。
今や平等は世の中のあるべき理想の形の1つとなっています。
でも平等平等って言いますが、世の中は本当に平等になり得るのでしょうか。
自分の高校野 球を振り返ると、不平等は当たり前のように存在していたなって思います。
自分は入部当初、セールスポイントはパワーだと思っていました。
自分の代を見てみても、スイングスピードや打球の鋭さでは自分が1番優れていたと思いますし、
飛距離においては部内でも上位に食い込んでいるだろうという絶対の自信がありました。
なので打撃練習では、将来主軸を張るのを目標に、長打を打つことを意識して練習に取り組んでいました。
そして、監督さんも自分が当初そういうアピールをしていたのを分かっていたと思います。
でも、監督さんが4番候補として選んだのは自分ではなくSで、
自分には、「お前に長 打は期待していない。」と一言だけ残していきました。
自分は、自分の最も大きな長所と思っていた点を否定されたことでかなりのショックを受けました。
「なんでSは良くて俺はダメなんだ。」と悩みました。
そもそもSは、長打を打つようなタイプのバッターではなく、むしろ単打を重ねるアベレージヒッタータイプで、
タイプ的に見ても自分のほうが合うだろって思っていました。
じゃあ、何がSと自分の差であったか。
(これは監督が明言したわけではなく自分の推測ですが、)
それはたぶん、身長だったと思います。
Sは182cmなのに対し、自分は171cm。
明らかにSのほうがでかい。< br>
もちろんでかいほうが打球は飛ぶので、
自分は身長という理由だけで見切られました。
また、この点に関してはどれほど努力しても埋めることのできない差でした。
そう、
自分は入部して1ヶ月もしないうちに、自分の長所を失いました。
自分の新たな長所をつくらなければならなくなったのです。
最初はなかなか受け入れられず、甘い球を大振りしたり引っ張ったりしていましたが、
そんな姿を見て監督は自分をめっきり使わなくなりました。
練習試合では2ヶ月は確実に出ていなかったです、一度も。
「もう覚悟を決めるしかないな」と自分は、ポリシーだったバット の持ち方を
ギリギリまで長く持っていた状態から指2本余す持ち方に変えたところ、
その週の練習試合では、2試合目でスタメンと久しぶりに試合に出ることができました。
不平等って、あって当たり前なんだと思います。
むしろ、全て平等っていうのがおかしいと言った方が良いでしょうか。
不平等であるということはもとからそうであり、つまり全ては不平等から始まると考えるほうが正しいのです。
(話を発展させます。)
上で言ったことをまとめると、
『世の中は平等をそのあるべき理想の形として目指すが、そもそも世の中というのは不平等なものなので「平等 な世の中」というものにはなり得ない。』
っていった具合になります。
もともと世の中は不平等なものなのです。
では、そんな世の中で何が大事なのかというと、
元から不平等な状態で始まるのならその状況からいかにして自分の立場を確立していくかが大事なんじゃないかなって思います。
どんなに自分が「こうだ。」と思っても、評価する人が「そうじゃない。」と思えばそれは違うんです。
評価する人が「こうなんだ。」って思ったなら、自分がそれをどんなに違うと思っても、評価する人の思ったことをしなきゃ評価は得られないわけです。
野球で言えば、どんなに「自分はこういう選手だ。」って思っ ていてもそれが監督の考えるその選手の選手像と違えば評価してもらえず、レギュラーにはなれないんです。
監督の考えるその選手の選手像に近づいていこうとしなければ評価は得られないんです。
これは一見、ある側面から見たら「ごますり」の嫌な人間に見えますが、
見方を変えれば、違う側面から見たら、
「今自分は何をすればいいのか」と、自分を客観視できる人間と捉えることができます。
またどちらが本質かと言えば、それは後者だと思います。
社会で評価されるには後者のような人間にならないといけないんだろうな、と思いました。
さて、一通り書いたので すが、
かなり抽象的に書いたのでクソ分かりづらいと思いますw
とりあえず言いたいことは、「世の中ってもともと不平等なものじゃない?」ってことですので
そこだけ分かってもらえれば幸いです・・・w
ふとこんなことを思う自分ってやっぱ変人ですかね・・・?w
-----終わり-----