どんぐらい稼げるかは別にして、およそ仕事として成立するためには、何らかの価値を生み出さなきゃいけない。 じゃあ僕たちはどういう価値を生み出せるか。


もちろん事務所から与えられる仕事をこなすことも価値を作っていることには間違いない。


でも、パートナーがアソシエイトを雇う理由は、弁護士がやらなきゃいけないけど、自分がやっても他の人とほとんど変わらない作業について代わりにやってくれる弁護士を雇いからなわけで、本質的に事務所から与えられる仕事っていうのは、代替可能。
もちろん代替可能な仕事をできるようになるのは超大事。


でもいつまでも代替可能な仕事ばっかりしてたんじゃ給料はあがんないし、活きののいい若いのに後ろからどんどん抜かれていく。じゃあどうしたらいいのか。 自分にしかできない仕事をしなきゃいけない。

自分にしかできない仕事って何か。 この情報が氾濫する現代社会において、知識やノウハウで他と差別化することはかなり難しい。無理とはいわないけど、かなり難しい。


じゃあ自分しかもっていないリソースって何か。それって結局人間関係なのよね。 困ってる人がいる。その人を助けてあげるためには、自分は何ができるか。法的サービスはできて当たり前。そこからの差別化。

その自分だけのネットワークへのアクセスを売る。自分をポータルサイトにする。


質の高いコンテンツへアクセス可能なポータルサイトにするためにはどうするか。自分も質を髙いコンテンツをもつことが手っ取り早い。

その意味では、アソシエイトが自分のコンテンツとしての質を高めるために事務所の仕事に打ち込むのは別に悪いことじゃない。
人脈作りが大事とかいってパーティばっかいって名刺くばってても使えるコネクションなんてできないもの。


とはいえ、あくまでもコンテンツの質を高めるのは、ポータルサイトになるための一里塚であって、それ自体が目的化しちゃうといけない。一人の人間ができる仕事なんて限られてる。本当にクライアントのためを思うなら自分じゃできないところを人にやってもらうしかない。

鉄鋼王カーネギーの墓石には「私よりもはるかに優秀な人間たちを手足のように扱えた男、ここに眠る」 と書いてあるらしい。差別化するってのはそういうことなんだと思う。どういうネットワークをもてるかってのはその人の生き様や人格やリベラルアーツがダイレクトに反映されるまさにオリジナル。


で、急がば回れで、そういうオリジナルなネットワークを構築していくのが、結局生き残るために大事なんだということ。ネットワークの構築の仕方は、十人十色でいいんだけど、でもじっと事務所の仕事こなしてるだけでそれなりにネットワークができていく時代じゃなくなった。


要するに、「書を捨てずに、街へ出よう!」ってこと。


人材から人物を目指せって話。



微力を尽くしてコネクトしていきたいと。微力コネクション。



馬を何台つないでも馬車が自動車になることはない。 エンジンを開発しないと。

明日からいよいよ司法試験ですね。

前日ってどんなテンションやったんやろ。

2年前のことやのに、もうはるか昔のことのようです。

怖いね人生って。


とにかく、俺が勉強教えた人達には是非受かってほしい。


ほんとに。


後輩達にはほんとに感謝してるから。物を教えることって、すごく自分のためになるから。


自分を見直すきっかけになる。


教えるって本当に難しいことだから。


俺が後輩に勉強を教えるときに気をつけてることは2つ。


1つは絶対にダブルスタンダードしないこと。教えられる方がこれが一番困る。

例えば答案の作成指導してるときに、


ある日は、  


限られた時間の中で点数を効率的にとるためには、ポイントを絞って聞かれてるとこをしっかり書かなあかん

と言っておいて


またある日には、


加点方式の試験なんだから、間違いをおそれずどんどん書いていって、とにかく量で勝負して、他の人より少しいい点をとれば受かるから


とか言っちゃうと。どっちもそれっぽいだけに教えられる方は混乱しちゃうわけです。

ダブルスタンダードはよくない。

これは自分の言葉に責任をもつ、ということでもあります。


もう1つは、教える姿勢。

「やって見せ 言って聞かせてさせてみせ 褒めてやらねば人は動かじ」

ご存知、山本五十六の名言です。

 教育の神髄とはここにあると思うのです。

 司法試験を離れて2年、だんだんと、「やって見せ」られなくなってきたので、最近は余り後輩に余計な口は出さないようにしているんですが。。。



コピー機を売るのか、快適な複写環境を売るのかは似て非なるものなわけです。わかりにくくてごめんなさい。


僕のよくいく紅茶屋さんは、ランチタイムは紅茶飲み放題です。何十種類もの紅茶の中からその日のおすすめをどんどんついでくれます。
この紅茶屋さん、実はティーパックで紅茶をいれています。でもすごく美味しい。
そんで、このティーパックはそのお店で買えるんです。もちろんオリジナルブランド。

さてこのお店は何を売っているのでしょう。

紅茶が飲めるサービスでも、ティーパックでもないと思います。

美味しい紅茶のある生活を売っているんです。

昼下がりにゆったりと紅茶を飲んでリラックスしてリフレッシュすることの意義をランチタイムでわかってもらい、家でも美味しい紅茶を飲みたいと思ってもらい、ティーパックを買ってもらう。

だから、お店では美味しい紅茶の入れ方とかをすごく丁寧に教えてくれるし、店員さんは皆いきいきと紅茶と自分の関わりについて話をしてくれます。

売ってるものを美味しい紅茶のある生活だと考えればこれは必然なんですね。

わかってもらえたでしょうか。自分が何を売るつもりかを見極めることが出発になるわけです。


僕の場合は、個人向けには、「日常生活の不安を軽くすること」を売ろうと思っています。


弁護士しかやってはいけないことはたくさんありますが、弁護士がやってはいけないことは実はほとんどないんです。

依頼者が不安を抱え込んで助けを求めてきてるのに、


それは弁護士の仕事じゃないです、


なんてことを言うのは、嫌なんです。


もちろんまだまだ経験も人脈も足りないので、なかなか思うようなサービスは提供できてなくて歯がゆい気持ちはありますが、それでも目指すところは、「日常生活の不安を軽くする」というところにおいてあります。

決して、リーガルエイドだけで満足はしないつもりです。
我妻栄という名は、彼が勲一等に叙せられ、従二位に列せられていることと見比べれば、あまり人口に膾炙してません。


ただ我妻栄を知らない法律家はモグリとみて間違いない、というぐらい法曹界では尊敬されている人物です。


一言でいえば、日本民法典の父。 我妻以後の私法学者は、すべからく我妻栄との距離をはかることで自らの立ち位置を明確にしてきました。


我々法律家は、民法について調べ物をするとき、判例はどういっているか、と同じぐらい我妻先生はどう考えていたかを気にします。


没後はや半世紀ですが、その輝きは今も色褪せることはありません。


たとえば、医療訴訟の分野の最近の注目判例に、最高裁平成23年2月25日判決(判時2108号)というのがあります。


これは、本当に簡単に要約すると、

左足に手術を受けたXの術後の腫れがひかなかったにもかかわらず、約3年間専門医への転送が行われなかったという事案

ですが、争点は、適切な医療行為を受ける期待権の侵害を理由とする不法行為が成立するかどうかでした。

結論からいうと、最高裁は、「患者が適切な医療行為を受けることができなかった場合に、医師が、患者に対して、適切な医療行為を受ける期待権の侵害のみを理由とする不法行為責任を負うことがあるか否かは、当該医療行為が著しく不適切なものである事案について検討し得るにとどまるものであるところ、本件はそのような事案とはいえない」と判断しました。

つまり、適切な医療行為を受ける期待権の侵害を理由とする不法行為が成立する場合がないとはいわないけれど、あるとすればそれは医療行為が著しく不適切なものだったときだけですよ

と判断したわけです。

ここで少し法律をかじったことのある人なら、709条には「故意または過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」と書かれていることを思い出して不思議に思うでしょう。

709条には「過失」としか書いておらず、著しく不適切な行為、つまり「重過失」が必要だとは書いていないわけです。

ここで我妻先生の出番です。名著「事務管理・不当利得・不法行為」の125頁以下には、相関関係説といわれる考え方が記されています。(ただし内容的には「相関的判断説」が正しい。)

これは、 不法行為の成立の有無は、被侵害利益の種類と侵害行為の態様との相関において決定されるべきであり、

被侵害利益の権利性が強固であるときは、侵害行為の不法性が小さくても違法性が認められるが、被侵害利益の権利性が弱いときは侵害行為の不法性が大きくなければ違法性 が認められない

という相関的判断をしようじゃないかという考え方なわけです。


さて、最高裁平成12年9月22日判決(判例時報1728号)は、

①患者がその死亡の時点においてなお「生存」していた高度の蓋然性の立証がされた場合(ノープロブレム事例)

だけでなく

②「患者がその死亡時点においてなお生存していた相当程度の可能性」が(高度の蓋然性をもって)立証がなされた場合にも

「医療水準にかなった医療行為が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性」という法益が侵害されたとして 不法行為の成立を認めました。

賛否両論ありますが、これは画期的な判決でどの教科書にも載っている基本判例の1つです。


実は、最高裁平成23年 2月25日判決は、この平成12年判決に我妻説(相関関係説)を掛け合わせれば当然予測され得た判決だったわけです。

つまり、 被侵害法益として「生存の相当可能性」(H12判決)よりもかなり要保護性が小さいと思われる「適切な医療行為を受けることを期待する権利」(H23判決)の侵害を理由として不法行為の成立を主張する場合には、相関的判断として、少なくとも、行為に単なる過失があるだけでは足りず、「著しく不適切なもの」であることまで要求されるわけです。


次に新たな紛争が起こり、(H12判決)と(H23年判決)の間のような事例が生じたらどうなるでしょうか。
その法益が「生存の相当可能性」と「適切な医療行為を期待する権利」 のどちらにより近いかが激しく論争されることになるでしょう。


かなりの範囲で、我妻先生のつくったフレームは今も燦々と輝いているのです。


法律家がなぜ判例と同じように我妻栄の著作に気をくばるのか、我妻栄の偉大さが少しは伝わったでしょうか。


債権法大改正の議論が かまびすしいですが、旗振り役の内田先生は、我妻先生の永遠のライバル星野先生のお弟子さんです。

恩讐を越えて、いい改正案ができることを祈ってやみません。

5月29日に遺言・相続についての講演会をやる予定なので、最近はその準備をたまにしています。

とはいえ、教科書の目次みたいなレジュメを配って、教科書の内容を読み上げてなんて講演ならわざわざ僕がやる意味もないので、

きっちり作り込んだプレゼンを提供したいなあと思っております。

そこでまずは、プレゼンの理論について学ぶわけです。


理論から入っても仕方ないこういうのは実践だからとうそぶくあなた。

この本がおすすめ。


星野リゾートの教科書 サービスと利益 両立の法則/中沢 康彦

¥1,575
Amazon.co.jp



星野リゾートの社長は、きっちり理論を学んでそれを実践することを徹底しているんだとさ。

マネジメントも一つの技術である以上、当然のことなんですけどね。



そういうわけで、理論を学ぶ。

プレゼンテーションといえば、


ジョブズでしょう。


スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン―人々を惹きつける18の法則/カーマイン・ガロ

¥1,890
Amazon.co.jp


惹き付けるプレゼンテーションは、メッセージと物語をはっきりと定めることが大事なんだって。


遺言・相続の講演で伝えたいメッセージは単純。


遺言を書くことで、残りの人生を輝かせましょう。ということ。


形あるものはいつかは滅びる。人間も財産もいつかなくなってしまう。

でも形のないものはそうではない。

家族への想いは、また新たな世代の想いとして受け継がれていく。


遺言はその結び目になれる。



そういう講演会を考えております。乞うご期待。