某超人気ブロガーさんの

記事を読んでいて

思い当たることがありましたので

書いています。



日本に暮らしていたって

今は虐待や

生活保護が受けれなかったための餓死

など

驚くニュースを見かけることはありますが

海外に住んでいますと

頭で冷静に考えると

それはそういうこともあるだろう、

と納得できなくはないですが

正直に面食らう場面というのはあります。



私が

一番、衝撃的な出来事

として覚えているのは

障害者の方をサポートする仕事をしていた時

アフリカ系の移民の女性が

新しく入ってきた時のこと。

彼女は洗濯機の使い方を知りませんでした。

ですので

手順を説明し、

図付きのわかりやすい説明も紙に書いて

じゃあやってみてね、と

お願いしたところ

問題なく洗濯機を回すことができました。

彼女も初めてのことが問題なくできて

嬉しそうでしたし、

なんだか共通の達成感があり、

本当に良かったです。

そうして、しばらくして

洗濯機が回り終えたと報告に来てくれたので

その時、カテーテルのケアかなんかで

取り込み中だった私は

『ありがとう。では洗濯ものを干してもらえますか?』

とお願いしました。




私が取り込み中のケアを終える頃、

彼女も終わったとまた報告に来てくれ

さぁやれやれ一通りのことは終わったかな、

と思い、

手を洗いにランドリールームに入ったところ…











洗濯物が取り出したままの

皺くちゃの状態で

ランドリールームの

床に並べられていました。






その時になって

初めて

国や地域によって

『洗濯ものを干す』

ということを知らない、

と言いますか

やり方が違う?こともあるのだな、と

知りました。

洗濯機を回すことができて

安心してしまっていましたので

まさか、ここで⁈


本当に盲点でした。



彼女にとっては

『川か汲んできた水で手洗いし

地面に置いておいて乾かす』

ということが

洗濯という行為の定義だったのですね。



彼女は

簡単な英語でやりとりはできましたが

きっとそれも

こちらに来てから

政府の提供する移民用の英語クラスで

本当に一から学んだのでしょう。

大変な苦労だったと思います。



この国では社会保障制度はある程度充実しており

自分次第でのし上がれることは可能、

というのは事実ではありますが

資本主義的な観点から見れば

非識字であることや

世界的な平均レベルの生活水準からはずれていると

やはりベーシックスキルの欠如と

評されるのは免れませんし、

さすがにこれだけ出発点が違うと

より良くなることはできるでしょうが

達成可能なのびしろ、の範囲は

限定されてしまうように思います。





もちろん

人の価値観や幸せはそれぞれなので

どちらが良い・悪いですとか

幸不幸は決められるものではありませんが

インターネットが普及し

画一化がこんなにも進んだ世界においても

まだまだこうした大きな違いがある、

というのに驚いた出来事でした。