大将のブログ -13ページ目

大将のブログ

フットサル ゴレイロ馬鹿大将の日記

ダウポンチ好きである。
2004年のブラジル代表のサプライヤー

でも最近、店頭で見かけなくなった。
国内のフットサルアパレルにおされぎみ

で 後輩の経営するサッカーショップにジャージを
注文し、先ほど到着。
大将のブログ
割とプロレス、格闘技好きである。(柔道黒帯持ってたりして…)

以前、こんな本を読んだ
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」増田俊也著

 戦前、柔道史上最年少で「全日本選士権」を制し、1949年に優勝するまで一度も負けず、15年間、不敗のまま引退した木村政彦は間違いなく日本柔道史上、最強の柔道家であった。戦後、プロ柔道に転じた木村はブラジルに遠征し、ホイス・グレイシーの父、エリオの腕を骨折させて圧勝、その技が「キムラロック」として、世界に定着しており、総合格闘技の父ともいえる存在である。

 昭和29年12月22日。プロ柔道からプロレスに転じた木村政彦は、当時、人気絶頂の力道山と「実力日本一を争う」という名目で開催された「昭和の巌流島決戦」。試合は「引き分けにする」ことが事前に決められていたものの、木村が一方的に叩き潰され、KOされてしまう。生放送していたテレビの視聴率は100%。まさに、全国民注視の中で、無残な姿を晒してしまったのである。

木村、時に37歳。75歳まで生きた彼の、人生の折り返し点で起きた屈辱の出来事だった。柔道の現役時代、木村は柔道を殺し合いのための武道ととらえ、試合の前夜には必ず短刀の切っ先を腹部にあて、切腹の練習をして試合に臨んだ。負ければ腹を切る、その覚悟こそが木村を常勝たらしめたのである。約束を破った力道山を許すことができなかった木村は、かつて切腹の練習の際に使っていた短刀を手に、力道山を殺そうと付けねらう。しかし、現実にはそうはならなかった

「鬼の柔道」を継承した木村の師匠・牛島辰熊、そして自身が育て上げた岩釣兼生、三代続く師弟関係を中心に、戦前から戦後の柔道正史、思想家でもあった牛島による東條英機暗殺未遂事件の真相、プロレスの旗揚げなど昭和裏面史の要素もふんだんに織り込んだ、長編ノンフィクション                                 (アマゾンより)

ラスト 木村は弟子の岩釣とともにプロレスにリベンジを果たします。

ページ2段で700ページで大長編ですが、自分2日で完読して、今でも読み返しています。
フットサルの「フ」の字も出てきませんが(笑)
興味のある方はぜひ



大将のブログ
大将のブログ-130225_134302.jpg

今日は仕事休み 昼から例により河原でトレーニング。終了後、缶ビールをぐいぐい 寒いけど うまい! これから帰って娘と餃子でも作るか
年に1度のペナルティキック戦
6mと10mのPKを交互に計5本
勝つとスポーツショップで好きなグッズを
買える(当然、負けた方のおごりで)
ホントは年末にやるつもりが伸び伸びに~

このPKは最初、6mから始めるか10mから
始めるかが物凄い重要(これもPKで決める 笑)
運よく10mからスタート

1本目
2-2から 10mPK左脇を決められ×
2本目
ほぼストレート 簡単に落とす×
3本目
2本落し リーチの5m
ヤマもはらず、ただ球が来た方向に思いっきり反応することを
心がける。右上隅のシュートをセーブ

ここから形勢が変わる

3本目を取り、4本目
シューターのK君いわく
完璧に足の真芯にとらえた10m コースは左隅
体が自然に反応する 横っ跳び セーブする。

あれで気持ちが萎えたとのこと。

5本目はほぼK君の自滅

2連勝でした。

「体の反応に任せる」これもまた重要なこと
PKってオセロゲームみたいなもの
K君 ごちそうさま 笑








1勝24敗の男たち~高知・アイスホッケークラブ~ (NHk番組 HPより)

夜、8時半に誰もいなくなった駐車場に高知県アイスホッケークラブのメンバーが集まってくる。リンクのない高知ではここが、ホームグランドとなる。三原幸雄さんはチーム一アイスホッケー好き。高知市に40年前に、スケートリンクが作られ、高知県アイスホッケーチームが誕生したが、その後、リンクが閉鎖。それでも選手たちは、チームを解体せず毎年公式戦にも出場している。しかし、勝ったのは去年の1度切り。
大会本番が近く、チームの士気も高まっていた。目標は国体で2勝目を上げること。倉敷市のリンクまで短い時間を利用して遠征を行った。アイスホッケーは、時速40kmでぶつかり合い、体力も精神力も必要。この日、岡山のチームと練習試合を行った。三原幸雄さんはディフェンダーをしているが、氷の上での練習が足らないため、相手に簡単に抜かれてしまう。この日も負けてしまった。
三原幸雄さんは妻と子供の4人暮らし。深夜遅くに帰宅する生活を10年以上続ける理由は、いつか勝てると信じているからだ。職場は街の郵便局で、一番最初に出勤し掃除をする。部下にも気を使う中間管理職だ。仕事のストレスは、毎日の夜の練習で発散する。ランニングに自主練も欠かせない。家族もアイスホッケー中心の生活に付き合っている。
松山市の愛媛大学の強豪チームの練習に三原幸雄さんは単身で、乗り込んだ。少しでも腕をあげようと必死に若い人に食らいつく。
岡部嘉照さんは教習所の講師。合間にホッケーの練習を行う。チーム最年長の55歳の男性も努力を続ける。西川満さんはケガと付き合いながら。そして家族もマネージャーとして支える。
12月1日に、国体四国予選が始まった。会場には選手の家族も応援に駆けつけている。三原さんの妻と子供も。チーム一丸となって2勝目を目指す。2-2の同点で、最後はペナルティショットで負け、公式戦の記録が1勝25敗となった。三原さんの妻も、試合を見て、いたわる気持ちが湧いてきたと話す。そして、三原さんも試合後にユニフォームを新調した。

三原さんが言ってました。

「勝っても、負けても楽しくプレー出来ればいいや。という気持ちではホッケーはできない。それ程しんどいんです。」

「負け続けているからこそ、ホッケーを続けていられる。」