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二人の出会いはスコットランド。
竹鶴政孝は、広島県の造り酒屋の三男として生まれ、大阪高等工業学校(現在の大阪大工学部)の醸造科を出て大阪の摂津酒造に就職。
ウイスキーの製法を学ぶため、スコットランドのグラスゴー大学に留学していました。
リタの本名は、ジェシー・ロベルタ・カウン。
グラスゴー郊外のイースト・ダンバートンシャー カーキンティロックで4姉弟の長女として誕生。
父は医師をしており、住まいは9室のベッドルームと4室の応接間を擁する大邸宅でした。
二人のキューピッドとなるのは、リタの妹、エラ。
当時政孝と同じ大学に在籍していたエラから、弟に柔道の指南をしてほしいと依頼され、政孝はカウン家を訪れました。
そこで二人は出逢うのです。
その頃、彼女は第一次大戦で婚約者を亡くし、後すぐに父親も亡くなってしまいます。そんなリタにとって、政孝は希望の光に見えたかもしれません。
2人は音楽が共通の趣味で、リタがピアノ、政孝が持参していった鼓を一緒に奏でるなどして親睦を深めていきました。
そして政孝はリタに求婚。「あなたが望むなら、日本に帰るのを断念して、この国で職を探してもいい。」という政孝に、リタはこう答えました。
「私たちは日本へ向かうべきです。日本で本当のウイスキーを造ること。私もその夢を手伝いたい。」
国際結婚に抵抗感が強い時代、カウン家・竹鶴家からも大反対された二人でしたが、両家を説得し、リタは政孝と日本へ移ります。
日本の生活に溶け込もうと努力し、漬け物や塩辛まで手作りしたリタを、「日本人以上に日本人らしい」と回りの方々が言うほど。
それでも、戦争の時は石を投げられた事もあったと言います。。。
日本語の勉強にも励み、流暢な関西弁も話すようになりましたが、「マサタカサン」の発音が難しかった為か、政孝のことを「マッサン」と呼んでいたそうです。
1961年1月17日、リタが亡くなると、政孝は自室にこもり、涙に暮れました。葬儀の相談にも出てこず、葬儀が終わり、玄関を出ようとしたひつぎを政孝は何度も何度もなでたといいます。
余市にこだわった二人は、今もウイスキー蒸留所を臨む余市の地に共に眠っているのです。
夢に生きた男と、夢を愛で支えた二人の物語。
今日の竹鶴は、いつもより甘く感じるかもしれません![]()