第7,8回の宝塚アーカイブスは

「宝塚歌劇 劇場の軌跡」でした🏫

現在、宝塚歌劇は
宝塚大劇場
宝塚東京劇場
宝塚バウホール
の三つの劇場で通常公演を行っています。


大正3年4月1日にパラダイス劇場で初の公演が行われました。

このパラダイス劇場は元々は宝塚新温泉の室内プール施設「パラダイス」でしたが、
暖房設備がなく、男女別々の入場でなければいけなかったことから、
少女歌劇団の舞台として使うことになりました。


当時は収容数およそ500人、
正月、春、夏、秋の4回で、宝塚新温泉♨️の入場料で観劇できました。

この演劇の人気が出てきたことにより、
箕面の公会堂劇場で公演することになりました。

収容数はおよそ1500人で公演は年8回、
入場料はパラダイス劇場と同じく、宝塚新温泉♨️の入場料で観ることが出来ました。

この公会堂劇場の事が、「おゝ宝塚」という曲の歌詞として残っています。

こうして2つの劇場が出来たことで、1日二部の公演が行われることになりました。

男性の観客が多かった事で、大人向けの作品への要望に対応するため、
第一部を公会堂劇場で、実験に満ちた大人向けの作品、
第二部をパラダイス劇場で、これまで通りのお伽歌劇を専門に公演していました。

この時に花組🌸、月組🌙の2組制となりました。

大正12年1月22日、
公会堂劇場から出火し、新温泉の浴場のみ残し、
両劇場や周辺の施設が焼け落ちました。
火災から2ヶ月で収容数およそ1200人の宝塚中劇場を完成させました。

パラダイス劇場の跡地には収容数およそ400人の宝塚小劇場を建てられました。

宝塚中劇場では、男性を加えた宝塚国民座が本拠地として活動していきます。

その後、宝塚新芸座が本拠地とし、昭和47年に取り壊され現在はくすのき広場となっています。

宝塚小劇場は山田耕作も入団した宝塚交響協会の活動の場となりました。


大正13年7月19日、4000人収容と謳われた宝塚大劇場が開場しました。
これは世界一の収容数を誇ると言われたドイツの劇場の向こうを張る大きさでした。

公演数は年12回となり、雪組❄️を加えた3組制になります。

大劇場の観劇料は30銭で、新温泉の入場料30銭、カレーライス30銭の1円で1日遊べる施設としてプロモーションしていたそうです。

落成公演は今も語り継がれる「カチカチ山」でした。
本物のタヌキを使ったとか使ってないとか…

昭和に入ると新しい作品を取り入れられ、
昭和2年に「モン・パリ」、
昭和5年に「パリゼット」が上演されました。

番組で流れた昭和6年、7年の公演の映像は衣装も煌びやかで、優雅に踊るタカラジェンヌ達が映し出され、
当時の観客が魅了されていただろうことが伝わってきました。


東京で常打ち公演を行うために昭和9年1月1日に東京宝塚劇場が開場しました。

収容数はおよそ2500人。
この東京宝塚劇場開場に伴い、星組🌟が新設されました。

2002年に宙組🪐が新設されましたが、それはこの東京宝塚劇場の改装に伴う新設と併せてでした。

昭和10年1月25日に宝塚大劇場が火事🧯で全焼となりましたが、着工からたった50日で再建を成し遂げ、
昭和10年4月1日に再開されました。


小林一三翁は「宝塚歌劇四十周年史」で
いい芝居を、安い料金で広く大衆に見せたいという事であり、それを実現するには大劇場設立によるものだ、と語っています。


今はコロナ禍で公演が中止になっていますが、
この小林一三翁の主義のおかげで、毎日どこかで宝塚の舞台を観ることが出来ていたのだなぁ、と思いました照れ照れ照れ


本日も最後までお読みいただき、
誠にありがとうございました✨✨✨