戦国の城ではなく、古代出羽北部の行政の中心であった
古代城柵の一つとして知られます
西暦733年出羽柵(いではのき)を庄内地方から
秋田村高清水に遷置したと
続日本紀に記されているのが史料上初めての登場です
大和朝廷が蝦夷支配の拠点としたとも考えられます。



いきなり庄内から秋田への遷置にはおそらく
渤海との交易が理由であろうㇳ考えられており
全国でも例を見ない建物と水洗施設が
整備されたトイレが発見されているところに
交易の歴史を伺い知ることができるとのことです
ブラタモリでもガッツリ紹介されていましたので
ご存知の方も多いのではないでしょうか




広い史跡公園内には雉も悠々と歩いていて
古代のロマンを感じることの出来る史跡です