戦国期では河越城と表記したほうが馴染み深い川越城
武蔵野丘陵の縁に建てられています。



室町時代、鎌倉公方の足利氏と関東管領の上杉氏が対立
武蔵野丘陵あたりが最前線となり、
上杉氏の上杉持朝が太田道灌に築城を命じたのが
歴史の始まりとなります。
後に江戸城築城も絡めて江戸から川越までを
軍事道路で結んで、古河に拠点を移していた足利氏への
防衛線を構築しました。
その後太田道灌を主君上杉氏が暗殺したことで
関東が泥沼状態に陥ります
その頃相模で勢力を伸ばしつつあった北条氏が江戸から
岩槻更に河越まで攻め落とし武蔵を支配
この事態に今まで対立していた
古河足利氏と関東管領上杉氏、
更には扇谷上杉氏が連合し
河越城に籠城する北条を攻めるもなかなか落とせず
ついには北条氏康の夜襲で連合軍が撃退されたのが
かの有名な河越夜戦となります
豊臣秀吉の関東攻めでは大道寺政繁が奮闘するも降伏
前田利家が入城し、後に徳川家康が武蔵入封すると
酒井重忠が入り川越藩の成立となります


今は本丸御殿が残りますが
これは他には高知城、掛川城、二条城だけであり
大変貴重な遺構となり、見応えも充分です








川越駅からバスで約20分
登城者には大変優しい環境です




御殿横にある三芳野神社は
童謡「通りゃんせ」の発祥の神社
当時城内にあったため
なかなか庶民が参拝することが出来ず
年一度の大祭か七五三の際のみ
参拝を許されました
「この子の七つのお祝いに……」って
こういう意味だったんですね