一体夏はやって来るのやら、と思っていると、ドーンと蒸し暑い日が2,3日続くのが今年の夏の特徴らしい。

 

そのドーンと蒸し暑かったある日、近くのスーパーに各種並ぶアイスクリームを覗きました。“ストロベリー、風と共に去りぬ、ドクトル・ジバゴ、ア・ラ・ザッハートルテ”。あら、ザッハートルテだわ。 “クリーミーなチョコアイスにアプリコット味たっぷりのアイスと濃厚なチョコソース、それにチョコケーキ生地入り”。・・・ちょっと試してみる?

            ソフトクリーム  ソフトクリーム  ソフトクリーム

チョコレートアイスを好まない私が、ア・ラ・ザッハートルテに手を出したのは、毎年ウィーンでザッハートルテを食べるから。

ザッハートルテと呼ばれるケーキのメーカーはふたつ。ホテル・ザッハーとデーメル。今年は食べ比べまでしてしまいました!物好き?

             チーズ  チーズ  チーズ

ヴィキペディア(ドイツ語版)によりますと:

ザッハートルテの前身は18世紀に遡ります。1718年や1749年発行のお料理の本に既に載っているとのこと。

 

本来のトルテの歴史は1832年に始まります。この年、メッテルニヒ公爵が高貴な客人のために特別なデザートを作るよう、厨房に注文。「ああ、恥をかくようなことにならなければいいが・・・」と心配する中、コック長は病気で仕事が出来ず、彼に代わったのが、当時16歳、見習い2年目のフランツ・ザッハー。作ったデザートがザッハートルテの原型です。このケーキ、客人の口にはよく合ったようなのに、以後話題にのぼることもなかったそう。だからか、プレスブルクやブタペストなどでさらに修行をした彼はウィーンに戻っって、1848年ワインなどの美味食品を扱う店を開業します。

            ワイン  ワイン  ワイン

彼の長男エドワルドが皇室および王室ご用達のお菓子屋デーメルで修行をし、その期間中にザッハートルテを今知られる形に完成。まずはデーメルで“オリジナル ザッハートルテ”として販売されます。

1876年、彼はホテル・ザッハーを創業し、ここでもザッハートルテを販売。以来、ザッハートルテはウィーンの名産物として拡がりました。

             ホテル  ホテル  ホテル

このエドワルドが亡くなり、そのうち奥さんのアンナが亡くなり(1930年)、ホテルは傾いて1934年に倒産。エドワルドの息子はデーメルに移り、“エドワルド ザッハートルテ”の販売権はデーメルのものとなりました。

 

ところが、ザッハー・ホテルの新しいオーナーが1938年にウィーンで人気のこのケーキを店内だけではなく、路上でも売り出し、“オリジナル ザッハートルテ”の名称を登録させたから、さぁ、大変!ホテルとケーキ屋デーメルの間で争いが始まります。

 

第二次大戦とその後の占領期間を終えて1954年、ホテルのオーナーが商標権を主張、デーメルが“オリジナル ザッハートルテ”を作って売っているのはけしからん、と訴えます。名称の使用権、真のレシピはバターか、マーガリンか、さらに、塗ってある杏ジャムの位置までもが争点となりました。デーメルのは、チョコレートのコーティングの下だけに、ホテルは加えて生地の中間にも杏ジャムがサンドイッチされています。

 

証人の一人にフリードリヒ・トアベルクという人がいました。彼はホテルとデーメル両方のお得意さん。彼は「アンナ(エドワルドの奥さん)のザッハートルテには決して真ん中にジャムはなかった」と証言。

 

1963年になってやっと、裁判に拠らない話し合いで一件落着を見ます。ホテル・ザッハーは真ん中にもジャムの挟まったのを「オリジナル ザッハートルテ」として、デーメルではジャムがコーティングの下だけにあるのを販売することと相成りましたが、このデーメルのを人々はひそかに「本物ザッハートルテ」と呼びました。

 

ということで、ザッハートルテの食べ比べは決して無意味でもありません。どちらが「本物」か、または「オリジナル」かは決定できなくとも、どちらがおいしいかぐらいは各人が決定できます。ザッハートルテの歴史を思いながら味わえば、これまた楽しです。

私たちはホテルザッハーに軍配を挙げました。

            コーヒー  チーズ  コーヒー  チーズ

で、買ったアイスのお味? アプリコットの酸味とこってりチョコレート、そして何よりも生地のくずがザッハートルテ自体を思わせ、うん、結構おいしいです。