萩の観光で必ず訪れる所、松陰神社を今日は紹介します。
(観光サイトを引用しています)
松陰神社は吉田松陰を弔う神社として、明治40年(1907)伊藤博文らによって建立されました。
上の鳥居を入って左側に「明治維新胎動之地」の碑があります。この碑も薩長土連合密議之處の碑と同様に1968年に「明治維新百年」を記念して建てられました。高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文といった、明治維新に多大な貢献をした人は、まさに明治維新胎動の地と言えます。
松下村塾(しょうかそんじゅく)は、「明治日本の産業革命遺産」として1995年7月に世界文化遺産登録されました。
1842年、吉田松陰の叔父である玉木文之進が開いたのが始まりで、当時からこの場所にあり、建物も幕末に建てられたものがそのまま残っています。幼い松陰もここで学び、1857年、27歳でこの塾を主宰することになりました。
松下村塾の塾生たちの肖像が展示されています。高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋など歴史上有名なそうそうたる人物たちです。
松陰が松下村塾で教えたのはわずか2年だそうです。
当時、藩校・明倫館は武士の子しか入れませんでしたが、松下村塾はどんな身分の子も受け入れ、費用も無料という私塾でした。最初は右側の元からあった8畳の小屋を改築して、講義をしていましたが、翌年には塾生が増加したため、左側の10畳半の部屋を増築し、講義室としました。
ユネスコ世界遺産に登録された吉田松陰幽囚(ゆうしゅう)ノ旧宅があります。
ここは、元からこの地にあった松陰の実家、杉家の旧宅です。伊豆下田から密航しようとして失敗、奉行所に自首した松陰は江戸の牢から萩の野山獄に収監され、1855年12月にここ杉家宅の3畳半の一室に幽囚の身となります。
1890年の創建当時は、杉家による吉田松陰の私祠でしたが、伊藤博文らの働きかけで1907年、県の社格としての神社創設が許可されました。秀才だった松陰を祀っていることから、学問の神様として信仰が厚い神社です。
手水舎
狛犬
拝殿
本殿
樹にちっちゃい扇子がぶら下がってました。興味あったのでおみくじしてみました。
扇子おみくじ 中吉 キビシイ言葉ばかり書かれていました
御朱印を頂きました。
「至誠」と書かれています。これは「至誠にして動かざるものは 未だこれ有らざるなり」という松陰の言葉をとったものだそうです。意味は「誠を尽くせば、人の心は必ず動く」ということのようです。