萩観光のブログは本日で終わりです。

今回も観光サイトを引用してアップしています。

先ずは北の総門からです。

 

北の総門は、藩政時代に城下から三の丸(堀内地区)に入るために設けられた総門の一つであり、他に中の総門、平安古の総門がありました。かつては門番が常駐して人の出入りを監視しており、門は暮れ六ツ(日の入り)から明け六ツ(日の出)までは閉じられ、鑑札を持った者以外の通行を禁止していました。

 

高さ6mもあります。

 

藩の御用達を勤めた豪商・菊屋家の住宅です。屋敷は江戸初期の建築、現存する商家としては最古の部類に属し、400年の歴史があります。

 

「菊屋横町」の通りには白いなまこ壁が続き、情緒ある美しい町並みを見ることができます。平日はのんびり歩く事が出来て良かったウシシ

 

幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地を訪ねてみました爆笑

 

 

晋作は、藩校明倫館に通う一方で松下村塾に通い、頭角を表し、久坂玄瑞と並んで「松門の双璧」と称されました。

 

晋作の妻と息子

 

産湯に使ったと伝えられる井戸があります。

 

文久2年(1862)、外国に支配される清国(現:上海)を視察し危機感を抱いた晋作は、翌文久3年(1863)に身分を問わない我が国初の軍事組織“奇兵隊”を結成。討幕戦を勝利へと導きましたが胸の病が悪化し、下関・吉田(現:東行庵)に隠居。慶応3年(1867) 結核のため、27歳と8ヶ月という若さでこの世を去りました。

 

「堀内鍵曲」(ほりうちかいまがり)

敵が攻めこんできた際に、見通しを悪くすることで防御を高めるために作られました。

 

より防御しやすくするために両サイドは高い土塀にしてるようです。

 

土塀と柑橘類…萩らしい風景です。街中を歩くとこのような風景に出会います。

 

萩城跡

 

関ケ原の合戦で西軍総大将を務めた毛利輝元が築城した萩城の跡地「萩城跡」。別名「指月城」。平城と山城を合わせた平山城ですが、明治期に解体され、現在は石垣と堀の一部が当時の姿を残しています。

 

 

【余談】

萩と言えば夏みかんを思い出します。

そもそも何で夏みかんなのか調べてみました。

集団栽培は、明治維新後、失業武士の救済事業として明治9年頃から始まったようです。武家屋敷の土塀からのぞく夏みかんが見えるのは萩の代表的な風景になったようです。

毎年5月上旬~中旬にかけて白い可憐な花を咲かせ、街が甘い香りに包まれます。
萩城下町の夏みかんの花の香りは環境省選定「かおり風景100選」に山口県で唯一選ばれています。