一昨日、14:46に日比谷公園で黙祷をした。大勢の人が日比谷公園に集まっていた。
目を閉じる。今まで出逢った気仙沼の人たちが同じ時間に祈っている姿が頭に浮かんできた。自分には想像もつかない祈りの重さ、だけど、途中確かに気仙沼の人たちの祈りに自分が繋がった感覚があった。自分の祈りも気仙沼に繋がっている、そう思えた瞬間、突然気仙沼の人たちの思いが自分の中に流れ込んでくるのを感じて、目頭が熱くなった。もう祈ることは出来なかった。しばらく茫然と立ち尽くした後、オレはゆっくりと目を開けた。



3月4日23:00~7日23:00の丸三日間オレは一橋の震災復興団体ココロオコスで気仙沼に行ってきた。今回で気仙沼は4回目。3日間という短い期間だったが、昨年末に出来た復興商店街の仮設店舗を一店舗一店舗回ったり、気仙沼の高校生と「被災地のために今、これから出来ること」というテーマでダイアログしたり、気仙沼湾が目の前にあるホテル望洋に泊まり、そこの社長さんの被災体験を講演してもらったりなど現地の方たちとたくさん交流することが出来た。



ホテル望洋の社長さんは言っていた。
「被災地に来る前に、ボランティアは色んなことを思うだろう。自分に何が出来るのか。自分は被災地に行って役に立てるのか。結局自己満足なんじゃないのか。そんなんじゃない。問題はそこじゃない。くればいい。被災地に国境もドアもあるわけじゃないのだから。来れば、何かを感じ、何か自分の中に化学反応が起こる。何かが変わって、何かが生まれる。それは絶対にいい方向に向かう。それが、人間力になり、人として本当に優しくなれる。その感覚を大切にしてほしい。」


震災後、お母さんが行方不明の中、自分のホテルを避難所として200人以上の被災者を受け入れ、お世話し続けてきた社長の言葉は重かった。

「絶対にいい方向に向かう」と社長は言った。断言というのは責任が伴う。絶対なことなんてないんだから「絶対に」なんて使わない方がいい。それでもなお社長が「絶対に」と断言できるのは震災後、様々な苦労を乗り越えながらも、本当にその化学反応を実感してきたからなのだろう。事実、社長の周りには本当に素敵な仲間が全国から集まっていた。




一昨日で震災から1年。
自分の中で色々な感情が渦巻いた1年だった。それでもオレはこうして生きていて、何不自由なく明日を迎えることが出来る。



ニュースキャスターの古館さんは言っていた。「区切りの1年というが、被災者の方たちの1年を物質的な1年として我々の感覚で区切っていいものか」

そしてホテル望洋の社長も。「メディアなどは3月11日を忘れないでみたいなことを言うが、現地の人にとっては、それはingー現在進行形の今現在。震災や津波の経験はまだ終わっていなくて、今も続いている。」



忘れないように意識するだけでは不十分だ。人は忘れる生き物だから、時がたてば何を忘れたくないのかも忘れてしまう。忘れたくないなら、忘れないように行動し続けなければならない。忘れないように祈り続けなければならない。

忘れない手段は人それぞれだけど、オレはやはり現地に一回行ってみることをおすすめする。支援しに行ったはずが、結局自分が元気になって帰ってこれるから。



オレにとって1年という区切りが何を意味するのかはよくわからないけど、1年という節目に日比谷公園で気仙沼に思いを馳せることが出来てよかった。気仙沼には、細く、長く、これからも関わっていきたい。