F1世界選手権が今月下旬にオランダで開催されるF1オランダグランプリまで夏休み中のサマーブレイクなのと今月、富士スピードウェイで17年ぶりにF1サウンドが轟いたこともありますが1977年に富士スピードウェイで開催されたF1日本グランプリを見ていました。
ひょんなことから1977年に富士スピードウェイで開催された第2回F1日本グランプリのビデオが手に入ったもので見ていました。

F1にも参戦していたマイケル・アンドレッティの父親ロータスのマリオ・アンドレッティがポールポジション1番グリッドからスタートしていましたね!
マリオ・アンドレッティーといえば1993年~1994年までF1からインディーCARTに転向して来たナイジェル・マンセルとニューマンハースのチームメイトとしてF1チャンピオンコンビを形成していました!

残念ながら1994年のインディCARTシリーズ最終戦でフォーミュラカーレースは引退してしまったようですが…

1994年のインディCARTシリーズには1977年F1日本グランプリに新人でスポット参戦してい伝説のF1ドライバーのジル・ビルヌーブの息子で後にF1でもワールドタイトルを獲得するジャック・ビルヌーブも参戦していたのですね!?

そのジル・ビルヌーブですが1977年F1日本グランプリには、すでにこの年のF1ワールドタイトルを獲得していたニキ・ラウダの代役としてフェラーリからスポット参戦していたのですが6周目にタイレルチーム改め!ルパン三世も搭乗していた

あの6輪車のティレルP34を駆るロニー・ピーターソンと接触して後輪タイヤに乗り上げ宙を舞い

横回転しながら立入り禁止エリアで運の悪いことに300人ぐらいの観戦者がいたエスケープゾーンの芝生へ突っ込んで行き

マシンのタイヤや破片などが観客などに命中して死傷者が出てしまったのは本当に残念でしたが…

この死傷事故の為かF1日本グランプリは10年後に鈴鹿サーキットで開催された1987年F1日本グランプリまで行われませんでしたね!
ちなみに私がジル・ビルヌーブを知ったのは1992年F1カナダグランプリの総集編を見て知りました。
アイルトン・セナのようなアグレッシブなドライバーだったようですね!
そういえば私が初めてF1を生観戦した1993年F1日本グランプリが開催された鈴鹿サーキット内の出店でジル・ビルヌーブのポスターが販売されていたのを思い出しますが!

結局!今も部屋に飾られている1993年にアラン・プロストが搭乗していたウィリアムズ・ルノーFW15Cのポスターを購入してしまいました。

それから3人の日本人がスポット参戦していましたね!

元祖日本一速い男として知られる星野一義がコジマKE009で

ホンダの伝説のライダーおよびドライバー高橋国光が2年前の形落ちマシン、ティレル007で日本人最上位の9位完走を果たてくれましたね!

2年連続F1日本グランプリにスポット参戦を果たした高原敬武は星野一義と同じコジマKE009で参戦していましたね!

リカルド・パトレーゼといえば私が初めて鈴鹿サーキットでF1を生観戦した1993年F1日本グランプリにもベネトンチームからあのミハエル・シューマッハのチームメイトとして出走していましたが、今年のレッドブルの角田祐毅のようにエースドライバー用に開発された扱い面いベネトンB193に手を焼き苦戦していましたね!

ちなみにリカルド・パトレーゼは1977年のF1日本グランプリでは6位完走をしてF1初入賞を果たしてF1日本グランプリとは相性をいいようで、その後!開催地は異なりますが鈴鹿サーキットで開催されたF1日本グランプリでも優勝を含む表彰台にも数回上がり1992年まで100%の完走率を誇っていたのですが、私が生観戦していた最後の出走となった1993年F1日本グランプリでは残念ながらリタイアに終わってしまいました。
本題に戻すと1977年F1日本グランプリの勝者はフロントロー2番グリッドからスタートしたマクラーレンM26を駆るジェームス・ハントが優勝しましたね!
ちなみに私がジェームス・ハントを知ったのは1993年6月に45歳の若さで急逝したF1ニュースを見て知りました、

また数年前に地上波テレビで放送され途中から偶然見た「ラッシュ/プライドと友情」と言うニキ・ラウダとジェームス・ハントが主人公の映画を見て2人がライバル関係であることを知りました。
この映画を見てジェームス・ハントのこともをさらに知れたと思います。