ウィンターブレーク以降、1つの練習に臨む際にも、毎回「嫌な空間だな」と感じ、思うようになってきた。

冬の市場で動きはなく、今までどおりのメンバー。唯一の変更は、監督交代があったこと。


この「嫌な空間」とは、ウィンターブレーク中にバルセロナで行ったストリートサッカーの影響により引き起こされたものと感じている。


キーワードは、『ゼロにする』


普段の練習を重ねて行けば、次第にお互いの特徴や性質を理解・把握し、信頼を構築し、より高度な連携を駆使することで組織力を高めていくことが可能になる。

これは、正しい。正論であると思う。


自分個人のことで言えば、「自分はこういうプレーをしまっせ」というのを日々の練習で示し、なおかつ味方のプレーの特徴をつかむことによって、それに適合して行くことで自分のパフォーマンスも上がるとは思う。


だが、「嫌な空間を感じる」とは、これとは真逆の作業に取り組むことを意味する。


意識的に、意図的に、毎回の練習前に、味方選手の情報を一度ゼロにする。データを白紙にした状態で挑む。


すると、どうなるか?


リズムがすれる。個人的にも、ボールは受けにくい。欲しいタイミングで、来ない。やりたいプレーもしにくい。コンビネーションも、バシッと決まらない。


そこは、言わば「無秩序」の状態だ。


しかし、それこそが最も緊迫した場面での実戦に近い状態だと、直感している。




僕は、日本人だ。

組織だった中で一定のパフォーマンスを発揮するのは、これまでの経験上僕たちの得意分野だと、個人的には思っている。


けれども、それがこのような「無秩序状態」に陥ったとき、日本人と言うものは何と儚く脆いものなのだろうと痛感したことが幾度かあった。



そこがスペイン人との、言うなれば「差」で、彼らは「無秩序状態」の中でパフォーマンスを引き上げてくる。混沌とした中での競争でこそ、真価を発揮してくると言っても過言ではない。むしろ、それができるヤツだけが勝ち残っていく。そこでセーフティーなプレーに走るヤツに、長いスパンでの未来はない。



毎回練習に行くたびに、嫌な気分や憂鬱に襲われる。日本人である自分には、なおさらそうなのだ。だが、それは正しいということだ。そこを乗り越えたヤツだけに、次の世界が現れる。


練習で、何もできずに終わっていくようなときさえある。しかし、その中で戦うことが自分が外国人である証明なのだと思う。



「無秩序」という「嫌な空間」を体感し続け、新感覚として獲得する。