バルサのレジェンド。ヨハン・クライフ。


クライフ.は、今季のバルサを評し、こう言った。



【バルサの“スペクタクル”は、ボールロスト時の対応に存在する】




この言葉に、ペドロの反応点は、震えを示したようだ



「その通りだね。


 だから、ペップは選手間の配置について、口うるさく言うんだよ。


 

 そこに、戦術的な規律が存在するからね」




選手間の配置に、戦術的な規律が存在する。



センシュカンノハイチニ、センジュツテキナキリツガソンザイスル




それは、まさに“パターン化”を意味するのでは-





戦術的なクオリティが高い選手こそ、的確なポジショニングを行う





ペドロは、止まらない。



バルサのカンテラ上がりである、“バルサイズム”の浸透しきった脳は、クライフの言葉によって、その潜在性を引き出されたことに興奮しているようだ。



流暢に、「ボールロスト後の、ボール奪取」について、語った。




「バルサは、常に、そう常にボールロストしたときのために、準備された状態でいる。



 ボールロストした時に、瞬時にプレッシャーをかけ、



 ボールを保持する相手選手を“噛む”ように、ボールを奪いに行く。



 それから、プレーするんだ」





「相手がボールを持つ時間が少なければ、


  チームの負担は減るよね。




  ボールを保持することは、言わずと知れたバルサの哲学。



  その哲学によって、僕らは痛むことなくフットボールを展開できると熟知している」






バルサの“スペクタクル”が、


「魅惑的な」部分が、


<ボール奪取>に存在する?



謎、謎、謎。


謎と矛盾だらけのこの表現。



選手としても、監督としても、サッカー界において“天才”と謳われたクライフならではのサッカーの見方が、そこにあるのか。




Origen(起源)の問題だと思う。



つまり、そのルーツが、発祥が、どこにあるか、という。




“スペクタクル”という表現は、誘惑的で美しい何かを彷彿とさせる。



だがしかし、その裏では、地道な訓練と鍛錬が積まれている。




サーカスだって、開催前の数週間で、象なりトラ也に、訓練を施すわけだ。



クライフはつまり、単純にいえば、そういうことを言いたいのでは。



『バルサの美しいフットボールは、


訓練されたボール奪取の組織力を起源に


 展開されているということだよ、諸君』




そこで、“パターン化”の話に戻る。



僕は、バルサのサッカーのパターンが、6パターンに分けられていると、バルセロナで見聞したことがある。




-相手の出方によって、選手がピッチレヴェルで話し合い、感じ合い、共鳴し合って、


その6パターンのどれかを選択する-




これは、僕が聞いた話である。



よって、これもまた仮説の域を出ない。



なぜなら、僕自身がバルサのスタッフとして内部の生きた情報として握っているわけではないからだ。




しかし、だがしかし。



これほどしっくり来る仮説を、これまで耳にしたことは、なかった。




≪蒼き伝説シュート≫という漫画を、ご存知だろうか?


そのストーリー内に、藤田東というチームが出てくる。


そのチームの施行する戦術に、“フラッシュパス”というものが存在する。




バルサのサッカーは、その“フラッシュパス”に近い。




決められたパターン化されたフォーメーションに、



選手が、位置取りをする。


すると、流れるようにパスが回り、



あっという間にゴールを奪う。




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バルサの場合、漫画と違って現実的なのが、



最後のフィニッシュの部分を怠らないこと。




その部分の崩しを、バルサはメッシという現代サッカーの申し子を発掘し、育て、バルサイズムに染めることで、その才能を如何なく発揮することを可能にした。



そして、さらにペドロの言葉は、バルサのカンテラ育成にまで及んだ。



やはり、バルサのサッカーは、カンテラを抜きにして語れないということだ。




続く