バルサ対アーセナルより。
あの試合が終わった後、スペイン人と話をした。
「今のバルサに対し、引いて守ることはナンセンスだ」というのが彼の言い分だった。
わかる。
リーがエスパニョーラを毎週見て、その圧倒的な強さを目の当たりにしている彼らは、そういう感性で今のバルサを捉えている。
この言葉に、僕はピンと来た。
「そもそも、どこからサッカーを始めるんだ?」
これは日本人フットサルなどでスペイン人と対戦していたときも、感じていた疑問だ。
往々にして、日本人は
「ボールを保持した瞬間から、サッカーはスタートする」
と考えているような気がする。そういう印象を受ける。
だから第一歩はボールを保持したことから始まる。
そのために、どう奪うか。
そこから、どう動くか。
どう攻めるか。
この概念が当たり前になっている。
バルサ対アーセナルを見て、思ったことがある。感じたことがある。
「アーセナルはどこからサッカーを始めようとしているのか?」
バルサと対戦する場合、とりわけカンプ・ノウだったらまずボールはバルサのものである前提でサッカーは始まる。
この場合、相手チームの考え方が重要になる。
アーセナルは、ラインを高く保った。
第一戦ほどではなかったにせよ、前半は特にラインを高くして全体をコンパクトにしていた。
そこで思ったのは、アーセナルにとって「どこがスタート地点なのか」ということ。
バルサにボールを持たせる
どこで奪い
どこから攻めるのか
現代サッカーを見ていて、ここが非常にキーポイントだと感じる。
よく言われる「攻守の切り替え」。
しかし、今は守備のスイッチが入った瞬間に、すでに攻撃の1枚目は狙うべきスペースに走っている。
だから奪った後、前線を確認することなく、そこポイントに蹴っている。
“戦術的フィード”が、試合の中で実践されている。
この“戦術的フィード”が最大限の効果を発揮するために必要なこと。
それは
「読む力」
選手個々の、ゲームを読む力が、非常に大切になってくる。
この試合残念だったのは、ファン・ぺルシの退場だけでなく、セスクが早い時間で負傷してしまったことだ。ゲームに参加し続けたものの、そのパフォーマンスは第一戦のそれとは程遠かった。
ナスリは左サイドで孤軍奮闘したが、一人でバルサ守備陣に風穴を空けるには到らず。
これにより、アーセナルの「どこからサッカーを始めるか」も、ブレブレになっていった。
攻撃的、守備的。前線からのプレス、引いてブロックを作っての守備。
様々な戦術が存在する中で。
「どこからサッカーを始めているか?」
この観点で試合を見ると、意外とサッカーって、おもしろい。
またサッカーのおもしろさを発見した気がしました。