前にも紹介しましたがバルセロナで活動する指導者、選手、ライターなどで作ったSAYFOOTという団体(スポーツナビ 「蹴球維新
」ameba 「Say Foot
」)があるんですが今回は自己紹介的なものが自分の番だったので今回書いてみました。
こんにちは
指導者の勉強をしにバルセロナにきて今年で4年目になります。はじめバルセロナに渡航しようと考えたときは漠然とサッカーの指導者になりたいということだけでした。その当時もこちらで活躍しているサッカーの日本人指導者が多々おり、話をいろいろ伺っているうちに、カンテラの指導者に興味を持ち始めました。
はじめバルセロナに来たときは知り合いもいなく、どうすればこちらで指導者としてやればいいかなどまったくプランがなく、とりあえず、こちらの指導者の資格を取ろうと考えておりました。実際最初の1年目は語学学校と適当にグランドを回って外から練習を見るという感じでした。
2年目にサッカーの指導者学校に行くと同時に、友人からエスパニョールのフベニール(ユース)のアシスタントをやらないかといわれ、エスパニョールに入ることになりました。その時の主な仕事は自分たちの試合のビデオ撮りと、ライバルチームの試合のビデオ撮り。練習も中で見ることができ、選手の人数が足りないときは練習にも参加させてもらいました。それが2008-2009シーズンと2009-2010シーズン、2年間お世話になることが出来ました。
その時に一番勉強になったことは、やはりスペインサッカーユースの最高峰のレベルを中で体験できたこと。実際、中で指導することは出来ませんでしたが、監督と選手の関係、試合前の雰囲気、どのような選手がプロになることができ、どのように監督が選手をコントロールするかなど、すばらしい体験をチームの中で経験することが出来ました。
でも実際指導者として指導しているかと考えたとき、自分の中でNOでした。4年目今年はエスパニョールを離れることを決断し、実際現場で少しでも指導できる現場に立ちたいと考えるようになりました。そのとき友人から声がかかり、あるチームのCADETE(中学生)の第二監督として来てほしいといわれ、お世話になることにしました。 そのチームは第1監督しかおらず、今までのエスパニョールでの経験をより現場で生かしたいという思いで、第二監督として仕事を引き受けました。しかし現在チームの事情で第一監督がチームを去らなければいけなくなり、1月から第一監督を引き受けることになりました。
エスパニョールに入るときもそうでしたが、今の自分にこの仕事がつとまるかと真剣に考えましたが、今自分が出来ることを最大限やり、挑戦すること、バルセロナに来た当初の思いを再確認し、今の仕事をやっております。 いろいろな指導者の形というのがあると思いますが、どの形が正しいというのはないと思います。それぞれの指導者がいろいろな意見をこのSAYFOOTでぶつけられる場になっていけばいいともいます