スペインと日本の違いの一つに、「勝負へのこだわり」があります。
これはよく言われることですが、ラテン系の人間というのはDNAのうえで「負けず嫌い」。
「競争において汚いことをしてまでも勝つ」というのが不道徳とされている日本人には、ちょっと面食らっちゃうくらい彼らは勝負にこだわります。
それを「汚い」「醜い」と排他してしまうことは、彼らの土台から降りることを意味してしまいます。
汚いことや、醜いことをしてまでも勝負にこだわること。
それは、一つの「覚悟」であると思います。
ビッグ・チームと言われるチームに、若い選手がそれほど試合に出られなくても在籍する意味が、ここにあります。「勝者のメンタリティ」を植え付けるためです。
例えばバルサのボージャン。彼は、カンテラ育ちでバルサ愛に包まれていることもありますが、彼自身として「バルサから出たい」といった趣旨の発言を聞いたことがありません。
それは、そのビッグ・チームと言われるクラブに存在する雰囲気、脈々と流れる、勝ち続けてきた歴史だけが所有することのできる「勝者のメンタリティ」といったものを吸収できることが何よりも価値のあるものだと、本能的に悟っているからだという気がしてなりません。
ダニ・アウベスがバルサに移籍してきた頃、前人未到の3冠に貢献したファーストシーズンに、「アウベスは勝者のメンタリティを兼ね備えている」と評されたことがありました。
彼らには、わかるんですよね。なんとなく。「コイツは、持ってんな」と。
モウリーニョもものすごくそういったことにこだわる人間の一人。ジダンをベンチ入りさせたいこともその一つ。Ganadorと呼ばれる「勝者」をすごく近くに置きたがる。それが醸しだす空気、影響の絶大さを、肌で知っている。「目に見えない」ディテールに、こだわるんです。
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だから、「勝負に勝つ」ということは、ものすごく大事。
この前相方が書いた日本人フットサルの方でも、「絶対に勝つ」ことを続けなければならないんですよね。僕は最近行けてないんですけど、昨々年負け続けた頃(10連敗しました)、悟りました。「勝つ」ことにこだわるからこそ、見えてくるものがある。過程の上での結果だけども、結果から生み出される過程でなければ意味がない。
スペイン人相手に、90分というゲームの中で、フットサルなら40分というゲームの中で、「確実に勝つ」ということは、やはり簡単なことではない。
それを、積み上げていく。そこに、意味があると僕は思う。できれば、それを意識してやること。無意識にやっていたことを、意識してやることは別の効果を生み出す。
「勝つ」中で、見えてくるもの。
「勝つ」ということを最低限こなした上で、過程を修正するという行為。
これが、日常化しなければならない。
少なくとも、意識の上で。
そしてそれは、気付かぬうちに自らに「勝者のメンタリティ」を植えつけている。自分を、見えないところでパワーアップさせている。
これが、きっと役に立つ瞬間が、来る。
特に、無名の人間や、実績のない人間、評価が低いところから始まる人間には必要だと思う。
モウリーニョには、それがわかっていたんだと思う。
彼にとって、メソッドは後付け。少なくとも、僕にはそう映る。
「勝者のメンタリティ」。
スペインと日本の違い、日本人が海外で感じる大きなカルチャーショックの一つだと、僕は感じています。