《ボール支配=フィニッシュの部分を「個」に頼るサッカー》
ボールは支配する。
しかし、ゲームは停滞する。
すると、相手はボールを支配されることに“慣れてくる”。
『ボールを持たされる』現象が起こる。
スペインA代表なんかは、この停滞を打開する術を既に心得ている。ビジャやトーレスという優秀なフィニッシャーがいるからこそできるサッカーでもある。忍耐強く回して回して、ボディブローのようなボール回しをし続ける。そして、残り数分になろうが、相手の足が止まったところで、ゴールをこじ開け、試合を決定付ける。その自信が、彼らには宿っている。それはおそらく、そのサッカーでEURO2008を制したからだ。そうしてW杯2010も制し、さらなる確信を彼らはすでに持っている。
しかし、このU-21世代は違う。そこまでの自信も経験も、まだ持ち合わせていない。
だから、見ていておもしろい。停滞したときに、「どうするんだろう?」って見ることができる。
現段階では、端的に言えば、打開策はA代表と同じ手段を用いたいという狙いだろう。すなわち、「フィニッシュの部分を、『個』に頼る」という解決策だ。
だからこの世代にカナレスを召集したのだろう。彼は、やはり「得点」という部分に関して、非凡なものを持っているような気がする。
そして、このポーランド戦も、残り数分のところまで0-0だったが、カナレスの得点で1-0の勝利を手にした。結果論ではなく、ミージャ監督の“狙い通り”と言って良いゲームだったろう。ゲームプランは大方当たっていた、と表現して良い。
サッカーにおいて、いかに選手の「個」を最大限に生かして勝利につなげるか、というのは至上命題であると思う。むしろ、それこそがサッカーの本質で、醍醐味であると思う。
個々の能力を度外視したサッカーなんて、あり得ない。
どんな11人がいても、同じサッカーなんてものは、絶対にあり得ない。
《フィニッシュの部分をいかに、どの程度「個」に頼り、投げるか》
では、このフィニッシュの部分を、いかに、どの程度「個」に頼り、投げるのか。
このコンセプトこそ、サッカーの本質に近づけるのではないか。
これは現時点ではあくまで仮定に過ぎない。
スペイン代表U-21を見ていて、例えばカナレスを抜いたほうが、ゲームとしては流れるかもしれない。流暢に、リズム良く、ゲームが行えるかもしれない。実際カナレスはプレーだけを見ると、まだまだ未成熟というか、幼いというか、欠如しているところが多くあると思う。ポジショニングも、ゲーム参加も、オーガナイズも、まだまだトップレベルにはない。
しかし、そのカナレスを含め、ゲームを進行していく術を模索することが、現時点でこのチームが勝つために最良の方法なのだろう。
ゲームのオーガナイズの面で言えば、チアゴがゲームを作り、マタが決定機を演出する方がはるかに美しくゲームは進行すると思う。チアゴとハビ・マルティネスのダブルボランチにマタのトップ下というトライアングル。これがベストに見える。
しかし、カナレスをここに加えるとすると彼をトップ下に置き、マタはサイドに回り、“アタッカー”として機能しなければならない。
だけれども、これが最も勝利に近い形なのだ。
つまり。ここで言いたいのは、何か欠如していることをも含め、ゲームを進行していく覚悟がない限り、「得点」という部分を個に頼ることはできないし、それがなければ得点は決して生まれないということだ。完璧などあり得ないということ。
得点を期待する選手に、やれ守備をしろだのチャンスメイクをしろだのという指示はナンセンスだと、僕は思う。
今僕が模索しているのは、それでは「いかに、どの程度」個に頼るかという部分。
ゲームの中で、何度「チーム」としての崩しが行えるか。
それを行った影響で、その「個」をフリーにすることができるのではないか。
そのバランスが必要なのではないか。
そのゲームへの影響力。
それを今季数多くのゲームをナマで見ることで実感し、検証していくことが楽しみだ。
これは追ってレポートしていきたいテーマなので、お楽しみに。
ボールは支配する。
しかし、ゲームは停滞する。
すると、相手はボールを支配されることに“慣れてくる”。
『ボールを持たされる』現象が起こる。
スペインA代表なんかは、この停滞を打開する術を既に心得ている。ビジャやトーレスという優秀なフィニッシャーがいるからこそできるサッカーでもある。忍耐強く回して回して、ボディブローのようなボール回しをし続ける。そして、残り数分になろうが、相手の足が止まったところで、ゴールをこじ開け、試合を決定付ける。その自信が、彼らには宿っている。それはおそらく、そのサッカーでEURO2008を制したからだ。そうしてW杯2010も制し、さらなる確信を彼らはすでに持っている。
しかし、このU-21世代は違う。そこまでの自信も経験も、まだ持ち合わせていない。
だから、見ていておもしろい。停滞したときに、「どうするんだろう?」って見ることができる。
現段階では、端的に言えば、打開策はA代表と同じ手段を用いたいという狙いだろう。すなわち、「フィニッシュの部分を、『個』に頼る」という解決策だ。
だからこの世代にカナレスを召集したのだろう。彼は、やはり「得点」という部分に関して、非凡なものを持っているような気がする。
そして、このポーランド戦も、残り数分のところまで0-0だったが、カナレスの得点で1-0の勝利を手にした。結果論ではなく、ミージャ監督の“狙い通り”と言って良いゲームだったろう。ゲームプランは大方当たっていた、と表現して良い。
サッカーにおいて、いかに選手の「個」を最大限に生かして勝利につなげるか、というのは至上命題であると思う。むしろ、それこそがサッカーの本質で、醍醐味であると思う。
個々の能力を度外視したサッカーなんて、あり得ない。
どんな11人がいても、同じサッカーなんてものは、絶対にあり得ない。
《フィニッシュの部分をいかに、どの程度「個」に頼り、投げるか》
では、このフィニッシュの部分を、いかに、どの程度「個」に頼り、投げるのか。
このコンセプトこそ、サッカーの本質に近づけるのではないか。
これは現時点ではあくまで仮定に過ぎない。
スペイン代表U-21を見ていて、例えばカナレスを抜いたほうが、ゲームとしては流れるかもしれない。流暢に、リズム良く、ゲームが行えるかもしれない。実際カナレスはプレーだけを見ると、まだまだ未成熟というか、幼いというか、欠如しているところが多くあると思う。ポジショニングも、ゲーム参加も、オーガナイズも、まだまだトップレベルにはない。
しかし、そのカナレスを含め、ゲームを進行していく術を模索することが、現時点でこのチームが勝つために最良の方法なのだろう。
ゲームのオーガナイズの面で言えば、チアゴがゲームを作り、マタが決定機を演出する方がはるかに美しくゲームは進行すると思う。チアゴとハビ・マルティネスのダブルボランチにマタのトップ下というトライアングル。これがベストに見える。
しかし、カナレスをここに加えるとすると彼をトップ下に置き、マタはサイドに回り、“アタッカー”として機能しなければならない。
だけれども、これが最も勝利に近い形なのだ。
つまり。ここで言いたいのは、何か欠如していることをも含め、ゲームを進行していく覚悟がない限り、「得点」という部分を個に頼ることはできないし、それがなければ得点は決して生まれないということだ。完璧などあり得ないということ。
得点を期待する選手に、やれ守備をしろだのチャンスメイクをしろだのという指示はナンセンスだと、僕は思う。
今僕が模索しているのは、それでは「いかに、どの程度」個に頼るかという部分。
ゲームの中で、何度「チーム」としての崩しが行えるか。
それを行った影響で、その「個」をフリーにすることができるのではないか。
そのバランスが必要なのではないか。
そのゲームへの影響力。
それを今季数多くのゲームをナマで見ることで実感し、検証していくことが楽しみだ。
これは追ってレポートしていきたいテーマなので、お楽しみに。