参考資料:「カシージャス世代」
http://www.youtube.com/watch?v=IDpKkZogXTc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=e4BK2IAUmBY&feature=related
これはスペインの「カナル・プルス」というチャンネルが放送している「インフォルマシオン・ロビンソン」という番組の一つの企画で、「カシージャス世代の今」という切り口で番組構成がなされています。
今から12年前の98-99シーズン。カシージャスは当時テルセラ・ディビジョン(実質4部)に属するR・マドリーCでプレーしていました。その当時のチームメイトたちの“今”を追った番組です。
※映像は2年前、2008年のものです
内容から抜粋すると、その中で現在1部でプレーしている選手は僅か3人(ラシン、ベティス、アルメリアに所属)。
ある者は車の工場で、ある者はカメラマンとして、またある者はタクシードライバーとして現在のvida(生活)を送っています。
当時のキャプテン、ダニ・ルイス。現在は4部のチームでサッカーをしながら、建築会社で働いています。
「僕は階段を思い描いていたんだ。そして、他のものが上がっていく中で、自分は急激に下っていってしまったんだ。アルバセテBに属していた頃、26歳で、サッカー選手としての夢を失い、2部でのプレーも叶わないと悟り、サッカー選手としてのキャリアにはピリオドを打ったんだ。」
セルヒオ。現在レジェスという3部のチームで選手として奮闘中。ヌマンシア在籍時に1年だけ1部でプレーもしたが、その後降格。後々、2部と3部のチームを転々とすることとなる。
デル・ボスケもこの世代に絡んでいる。彼は当時R・マドリーのカンテラの統括部長を担っていた。
レオ・ベルメホ。映像当時4部のサン・アンドレウでプレー。9年間で8つのチームを渡り歩き、5度の手術を経験。「確かに怪我は自分のキャリアに大きな影響を与えた。しかし、28歳になった今でも、僕は希望を持っているよ」
R・マドリーC時代にまつわる一つの伝説がある。これは当時の関係者なら誰でも覚えているのではなかろうか。ある選手が、その左足で信じられないようなFKを決めた。しかもその時、そのグラウンドには当時トップチーム監督のカマーチョとデル・ボスケがいた。その眼前で、である。「まるでマラドーナだ」。当時の関係者は唸ったという。
そのFKを決めた選手こそ、ミゲル・オヨソ。現在5部でプレーする傍ら、カメラマンとして仕事をこなしている。最早彼にってサッカーは趣味の域である。しかし当時のチームメイトたちはみな彼の才能を認めていた。「おそらく彼が最も高い質を備えていた」。
ミゲルは言う。「その伝説の話も、今や語り草となって大げさになっているだけさ。自分はチャンスに恵まれていたが、それを生かせなかった。それに自分では自分が1部でプレーできる質を兼ね備えているとは思えなかったんだ。ある試合で、勝っている中でも、僕は100%の力を出し切れ、と監督に言われたんだ。でも、そういったときに、自分はモチベーションを沸かせることができなかった。そういうことは、毎日の練習にも言える。毎日、モチベーション高く練習に望まなければならない。それが、僕にはできなかった。」
その彼のチームメイトに、アルバロがいる。彼も当時R・マドリーCでプレーしていた一人だ。
ビクトル・フォンセカは現在フィジカルセラピストとして活躍中。
「僕はR・マドリーの下部組織に属しているときに、フィジカルセラピストとしての勉強を始めたんだ。それから他のチームに移らなければならなくなったときに、ちょうどカマーチョがポルトガルでベンフィカの指揮を執ることになり、フィジカルセラピストを探していて、僕に白羽の矢が立った。僕は迷わずそこで仕事することを決意したよ。僕はそこで彼と2年仕事をした。仕事のチャンスが来て、サッカーをやめた格好だけど、僕はこの仕事に満足しているよ。なぜなら選手と同様にピッチに立って仕事をすることができるからね。」
最後に、久しぶりの再開を果たし、番組は締めくくられる。
誰かが言った。「もう一度このメンバーでチームを作ってサッカーがしたいよ。」
しかし、それは叶わぬ夢だった。
スペイン国内を転々としている人間が何人もいる中で、この日の夕食会にこれだけの人を集めるのも一苦労だ。
サッカー選手として、十分な才能を持ち合わせていた“カシージャス世代”のR・マドリーCの選手達。それでも、1部でプレーを続けていけるのは2、3人だ。
「サッカーを続ける」。その情熱に、違いなどない。
現に、多くの選手は現在も3部、4部、5部でプレーしている。
ある者は未だ1部、2部へのチャンスを虎視眈々と狙いながら、ある者はセカンド・キャリアを見据えながら、ある者は趣味として。
では、彼らの備える才能、質にどれほどの違いがあるのだろう?そんなこと、誰にも知ったことではないのだ。誰もがその才能に明確な答えなど出せない。
しかし、ある者はチャンスに恵まれ、ある者は恵まれず。
ある者は幸運に助けられ、ある者は不運に苛まれた。
そしてある者は大怪我に襲われ、ある者はタイミングに恵まれなかった。
またある者は親の多大な期待に応えられずに今も悶々とサッカーに未練を残しながらも、力強く自分の仕事と生活を抱えながら人生を送っている。
そんなそれぞれのサッカー人生に、どこに正しさなど求められるのだろう?
プロになったから正しいわけでもなければ、偉いわけでもなんでもない。こちらの選手はそれをよくわかっている。カシージャスの対応を見てもそれは滲み出る。ピッチの外に出れば、彼は“普通の”好青年だ。
サッカーというものがスポーツである以上、自分も例えば“才能”といったものと嫌が応にも向き合ってきた。
数多の選手を見てきた。
比較も含め、自分がどれだけの質を備えているのか、わかってしまっている。
その“諦め”を抱えつつも、向かっていく、という行為。
スペイン人というのは、それが非常に優れていると思う。彼らはシビアに目標に向かっていける。
例えば誰もがバルサに勝てると思って試合には臨まない。その現実を直視し、彼らは「試合を困難にして、勝ち点1をもぎ取る」ことに全力を注ぐことができる。
その“諦め”を力に変えることができる。
諦めるから、ふっ切ることができる。
それが、自分は欲しい。
自分は現在スペインでは9部~7部を行ったり来たりのいち選手に過ぎない。こちらに来て3年、言葉の問題、サッカーの違い、チャンスとタイミングのすれ違い、アジア人差別、いろいろ要素はあったが、これが自分の現実で現状だと、受け入れる。
だがそこで終わるかというと、それは違う。
21歳でスペインに来た頃、もちろん自分は「1部でプロになる」という夢を抱えて、日本を発ったわけだが、今では少し違う。
「行けるところまで行きたい」
純粋なサッカー選手としての欲求。
それが1部なのか、3部なのか、5部なのか。正直、自分にはわからない。
またそれが自分の人生の何の肥やしになるのか、それすらわからない。
不確定事項を多々抱えながらも、自分はこの情熱と本能に逆らうことはできないと思う。
逆を言えば、大怪我をしてサッカーをやめければならないかもしれないし。
何か仕事のチャンスが来て、そちらに行くかもしれないし。現にこちらに来てから、サッカーをしていなかったらあり得ないであろう出会いがたくさんあった。スペイン語の習得にしてもそうだし、人との出会いもそうだし、翻訳やコーディネイトの仕事もそう。
そしてそれがまた自分の人生において自信になり、自尊心となって現在の自分を一人の人間として支えてくれていると思う。
人生なんて何が起こるかわからない。だからおもしろい。
もちろんリスクマネジメントは必要ですよ。
だから自分は、体が続く限り、やっぱりサッカーを続けたいと、改めて思った。
自分には、サッカーしかない。