トライアウトも3チーム目。
この時期の一発合格はない。
8月ギリギリまで粘る。だいたいどこのチームもそう。
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粘るのには理由がある。
飛び抜けた選手がいないからだ。
「飛び抜ける」。この表現は危険だ。
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Twitterでうちの相方もつぶやいていたけど、(http://twitter.com/pititi5394 )
この辺のテーマは非常に難しい。
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だいたい海外に行って、自分のレベル相応のチームに入る。5部とか、6部とか、7部とか。日本でプロになれなかった選手が入るレベルなどそんなもの。8部、9部から始める必要だって十分考えられる。
他の国に関しては詳しくわからないが、ことスペインに関してはそんなところ。
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で、みんなだいたいわかってくるんだよね。「そこから這い上がるためには、結果が必要だ」って。例えばさ。
みんなが言う。
「結果を出さなければならない」
でも、実際はそれができない。なかなかできない。だからみんなその他大勢に埋もれて日本に帰ってしまう。それはプロ選手が海外挑戦してもそうだよね。
「結果を出さなければならない」ということが、みんなわかっているのに、できないのはどういうことなんだろう?
①“結果”という言葉の曖昧さ
②“結果”を追い求めたときに背負うリスク
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①“結果”とは何か。僕自身の答え、それは“数字”だ。ゴール数、アシスト数、試合数。
②それでは、その“数字”を追い求めるということは、どういうことなのだろう?
そこには、リスクが生じる。結果のみを追うということは、結果が出せなかったときに何かを失うということだ。
例えばFWの場合、得点を奪うために運動量を減らし、守備をしないようにする。その結果、点を取れれば、次の試合も先発。しかし、点を取れなければ、次の試合は外される。
そういうことが何試合も続く。3試合、4試合。試合に出られない。それを我慢できるのか?それでも守備をせずに得点だけを貪欲に狙っていけるのか。
これが、だいたいの日本人にはできない。
この「捨てる」作業が、ものすごく難しく、ストレス。これは僕自身そう。ここを「捨て切る」ことは本当に難しい。「点が取れないなら試合に出たい」、そういった“欲”が出てくる。
そして、「“試合数”も評価の対象じゃないか」と、すり替える。
しかし、このすり替えの結果得た“試合数”は、たかが知れたものになるし、大した意味を持たないものとなる。
“あわよくば”や“おいしいどころ取り”、これは海外のフットボールの本場の世界では、アマチュアレベルですら全く通用しないのが現実だ。
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「飛び抜ける」。海外で「飛び抜ける」ためには、どうしても“結果”が必要だ。外国人選手なら尚更だ。
選手の質やどうのこうので見ると、どうしても変わらないように見えてしまうし、下手したら贔屓目も手伝って、多少秀でて見えてしまう。
しかし、現実的には「多少秀でている」くらいでは、滅多に獲ってくれない。
そしてそれは、「飛び抜けている」ことにならない。
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厳しい挑戦。毎度思う。見てくれていなくても、期待なんてされていなくても、自分を出していかなければならない。出し続けていかなければならない。主張し続けなければならない。そして、結果を示し続けなければならない。
“結果を示す”ということは、努力の成果として与えられ得るものだと、個人的には思う。
しかし、“結果を示し続ける”ということは、そんじょそこらの努力だけではどうにもならない。もちろん努力は重要だし、それに忍耐や我慢の必要性も出てくる。
さらに厳しいことに、それだけではダメ。足らない。
小さな積み重ね。経験の蓄積。それに応じる感覚の研ぎ澄まし。
そういった能力を総動員して、つかめるかどうか。
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「分が悪い」?
知ったこっちゃない。むしろわかりきっていたこと。
甘い蜜を吸おうとしてはならない。
自分に与えられた環境、チャンス。その中でどれだけできるか、だ。