自分にとってフットボールとは。


“享楽”であり、“業”である。


享楽”という意味では、それは歓び。それは楽しみ。生きがい。充実感。感動・・・etc


“業”という意味では、それは自分の存在意義、人生における一つの指標・・・etc


何が言いたいかというと、自分にとってフットボールとは、「楽しさ」と「苦しさ」の二つを伴うもの。その二律背反の中でもがく、葛藤している自分が常にいる。


「楽しい」だけですますことはできない。


「苦しい」だけで続けていくことはできない。


考える。


感じる。



最近草サッカーやるんだけど、そこで自分がいるチームが負けること自体あり得ないと思うわけ。でもみんなサッカー関係者だし、指導者陣もいるからけっこう手強いわけ。11人対11人なら無論フィジカルにもの言わせて勝てると思うけど、もう少しスモールフィールドになったときに難しくなる。思考の中での戦いになってくるから。


そこで屈してしまうことが自分のフットボール観としては許されることじゃない。




考えること。と、同時に考えすぎないこと。感覚に身を任せる瞬間。


つまり、よく言われるように「お前は試合に入り込みすぎだ」っつー話。




あー、もう考えすぎるとよくわからなくなりすぎる。とりあえず入れ食いしすぎない感覚が、今、欲しい。



それがまた僕を飛躍させてくれる気がするから。



飽くなき向上心。おそらくそれだけが今も僕を支えているはずだから。