水曜日に行われたこの試合を見に行ってきました。
中村俊輔が先発出場したこの試合。初めてスペインで生シュンスケを見に行きました。新スタジアムの杮落しで観たので正確には2度目ですが、公式戦では初ですね。
今日はそんな中村俊輔の“今”を徹底解剖したいと思います。
≪自信≫
正直、今シュンスケは「自信」を失っているように見えました。いや、正確に言えば、「迷っている」という印象を受けました。
まだ、来た当初の初めての試合の方が自信を持ってプレーしていたような気がします。
サッカー選手というのは、本当に難しい。少し何かが崩れただけで、簡単に今までの名誉とか、地位とか、実績とか崩れてしまったりするものです。
それはシュンスケにも例外なく、別に彼が素晴らしいとか劣っているとかいうお話ではないと思います。
ただ、日本でNo.1の選手ですら、試行錯誤しながら、悩み迷いながら手探りでヨーロッパでの挑戦を続けている、ということは日本のファンの方は理解すべきでしょうね。
≪サイドアタッカーとプレースタイル≫
では、その「迷い」の要因は何なのか。
それは、「彼のプレースタイルでサイドアタッカーを任されている」ということに終始します。
前の記事に書きましたが、スペインではサイドアタッカーは「深い位置にボールを運んでナンボ」です。
それは、彼が得意とするプレーではありません。彼は、自身も言っているように、活かされるタイプではなく活かすタイプ。そういう選手はスペインではサイドには置かれないのです。
少し厳しい見方をします。
正直、シュンスケはボールを後ろに下げすぎです。あんなにボールを後ろに下げていては、相手も怖くないし、味方も彼の積極性を疑い、信頼を構築するのは難しくなります。
それから、ボールの受け方が非常に悪い。
あれでは味方はサイドにボールをつけにくい。「動き出すタイミング」が周りのリズムとずれています。
≪ピッチの中に一人だけ「異星人」がいる~リズムの違い~≫
ここからの分析は少し誤解を生むかもしれませんが、期待しているからこそ厳しく斬るつもりで行くのであしからず。
スペインのサッカーには、スペインの“リズム”がある。
ボールをつなぐリズム、前に勢いを持ってスピードに乗るリズム、1対1で仕掛けるリズム・・・等々。
そのリズムに、シュンスケ一人がついていけていない、という感じがした。
僕も来た頃そうだったから、よくわかる。
今観ていると、おそらく周りの選手は「アイツ、なんであんなところであんなプレーするんだ?」という感じなんだろうと思う。
だから、ピッチの中に一人だけ「異星人」がいる感じ。
例えば、せっかくハーフウェイ付近までボールを運んで、サイドにボールをつけたのに、簡単にボールを下げてしまうと、「えっ、なんでそんなに簡単にボールを下げるの?」という印象を与えてしまう。よしんばそこに、「ここはDFが喰いついているから、簡単に前向きの選手を使ってサイドを変えてもらおう」というシュンスケ自身の判断があったとしても、それはチームからしたら少し違和感を持ってしまう。
もちろん、サッカーに正解はないし、判断など無限にあるんだけど、ここでサッカーをしていて思うのは、「その局面局面での正しい判断」よりも「試合を通してのその局面での正しい判断」が要求される。
そのへんが大きな違いで、日本だと「その局面局面でのミスを起こさない正しい判断」が最優先される。つまり、常に「ミスのない」判断がよしとされる。
ここは違う。
例えば、局面によっては、誰もいない大きなスペースにボールをドカンと蹴ることが、試合を通じて大事な時がある。2,3人背負ってても引きずりながら突破を試みて、マイボのスローインにして3メートルくらい進んだ、ということが大事になるときがある。
それを、彼らは感覚的にやっているから、そこは実際肌で感じて自分で吸収していくしかない。
正解はないんだけど、マニュアルではなくリズムや感覚はある、というか。
シュンスケの判断はとても日本的、マニュアル的。局面局面での判断は悪くない。ボールを失わない選択肢をするからね。観ていてそんなに悪い印象は受けない。でも、良い印象や強烈な印象も、また受けない。
芸術と一緒で、きれいだったり、うまかったりすればいいのかというとそうじゃない。醜くても、強烈に訴えかける何かがあればその方が作品としては魅力的だし、素晴らしい作品だということになる。
あと2,3点気付いたことがあるんですが、それはまた今度にします。
もちろんシュンスケには活躍してほしい。ただ、中村俊輔というモチーフを、このスペインというキャンバスで、一寸の無駄もなく描かないといけない。つまり、うまくいくにしても、そうでないにしても、そこから僕ら周りが何かを学び、感じ取り、次に活かさなかったら意味がなくなってしまう。
嘘ではなく、現実の世界で。彼がぶち当たっている「現実の壁」を僕は直視し、痛々しくも追求していこうと思う。