今日はリーガ・エスパニョーラの選手動向について、先日スペイン人の友人と話した話を参考にデータ分析してみたいと思います。


こちらの選手は、「移籍」という概念に対し、あまりデメリットを感じない。それは、チームも監督も選手も無数に存在するという前提ありきで、それぞれが自分の方向性に沿ってフットボールと向き合える環境が整っていることが最大の要因です。


むしろ、移籍を繰り返し、数々のチームで信頼や結果を勝ち取ってきた選手の方がえてして逞しくもあり、高い評価を受けていたりします。


今、僕が興味を抱いているのは、アマチュア選手の動向。つまり、4部~9部あたりの選手がどう動くか。そこに関わる若年層との関係とは。そんな視点で、特にこのカタルーニャ地域の下層の選手動向を少し紐解いてみたいと思います。


*ここでは、純粋に「上から数えた~部」という表現を使わせていただきます。


まず、アマと言っても、4部(TERCERA A)、5部(PRIMERA CATALANA)、6部(PREFERENTE)は「セミプロ」と言っていい待遇です。チームからの給料も発生するし、ジャージや練習着なども普及されます。チームによるのですが、この領域までは「セミプロ」と言っていいでしょう。


そして、7部(PRIMERA REGIONAL)、8部(SEGUNDA REGIONAL)、9部(TERCERA REGIONAL)はイメージとしてはアマチュアに近い。「趣味の延長線上」と言ってしまえるかもしれません。もちろんここでもチームによっては上を目指していたり、給料が発生したりしますが、絶対数から言っても発生しないクラブが多くを占めます。


さて、ここから今日は「若年層との関係」に触れてみたいと思います。


先ほど話したスペイン人の友人というのは、JUVENIL(高校年代)の頃に高校世代4部(PRIMERA DIVICION)でプレーしていました。


「高校世代4部」というのを少し詳しく解説します。


スペインでは、高校世代もすべてピラミッド方式のリーグ戦が全国に行きわたっています。よって、JUVENILと呼ばれる高校世代にも、1部・2部・3部・・・というディビジョンが存在します。


JUVENIL(高校世代)のディビジョン分けは、1部(DIVICION D'HONOR)、2部(LIGA NACIONAL)、3部(PREFERENTE)、4部(PRIMERA DIVICION)・・・と続いていきます。


そこで僕が興味を抱いたのは、例えば「高校世代4部の選手」が、その後どんな軌跡を辿るのか、ということでした。アマチュアとして選手を続ける場合、どういったチームに行くのか。


そこで、その「高校世代4部」でプレーしていた友人に聞いてみました。彼は、高校を卒業したと同時にサッカーから離れてしまったため、焦点はサッカーを続けた当時の友人に絞りました。


「その時のチームメイトとか、その後どこでプレーしてたの?」


という僕の質問に対し、


彼は、


「6部(PREFERENTE)とか7部(PRIMERA REGIONAL)くらいかなぁ」


と言っていました。


高校世代4部→アマ6部~7部


という図式です。


単純に考えると、


高校世代3部→アマ5部


高校世代2部→アマ4部


高校世代1部→アマ3部


となります。


まぁ実際はそんなに単純じゃないだろうけど、あえてここでは統計的に明確化してみます。


今、「アマ3部」と表記しましたが、3部はもうアマではありません。しかし、プロでもありません。本当に「セミプロ」と呼ぶにふさわしいカテゴリーなのです。


「ちょっと待てよ。計算合わないジャン!そしたら誰が1部、2部のプロ選手になるの!?」と突っ込みを入れたくなった計算が得意なアナタ。


そうです。そしたら誰がプロになるのでしょう?


プロになるのは、本当に数限られた人間。高校世代1部の中でも、バルセロナやエスパニョールというプロの1部にトップチームを持つ下部組織の選手や、それ以外のチームの中でも際立った才能を持つ選手、強運をつかんだ選手たちが対象になります。


そうです。限りなく難しいんです。プロになるってことは。


ただ、こちらの選手というのは、「プロになる」ということだけを目標にサッカーを続けません。プロを目指さなくとも、アマチュアでサッカーを続ける選手がたくさんいます。でも、それは遊びでサッカーをする感覚じゃありません。彼らが真剣にサッカーに取り組むことに、理由などないのです。


日本では、「サッカーを続けること」「プロを目指すこと」「サッカーに携わること」「サッカーでメシを食っていくこと」があまりに神格化されすぎています。


それが、「サッカー先進国」「サッカーが文化になっている国」と「サッカー後進国」「サッカーが文化になっていない国」の決定的な差です。


サッカー、いや、こちらでは「フットボール」と呼ばれるものがいつも隣にある。サッカー≠フットボールとは、以前どこかでスペイン人が言った言葉です。フットボールは誰にとっても身近なもので、だがしかし特別なものなのです。フットボールはすでにスポーツの領域を超え、人々の生活に根付いています。


なので、こちらではアマチュアの選手は「フットボールを続けつつ、生活をしていく」ということを、ものすごく自然に捉えています。その中でチャンスがあればフットボールでもより高みに挑戦するし、かといって生活をおろそかにも、犠牲にし過ぎたりもしません。


「アマチュアとして選手を続けること」。それだけとっても、これだけの考え方・動向・取り組み方に違いがある。


例えば高校を出てから、6部や7部くらいでフットボールを続けながら、大学に行ったり仕事して生活をしたりしている。それでいて、フットボールでもまだまだ上を目指している。


日本では、そういった「保険をつくる」ような考え方は好まれません。でも、彼らはそれを当然の如く受け入れます。なぜなら、「プロになる」ということが限りなく難しいことを熟知しているからです。その現実をはるかにシビアに受け入れつつ、挑戦をあきらめないのです。それこそが、本当の意味で、「現実的に夢を追う」ということではないでしょうか。


もしかしたら、日本では「それは夢を本気で追っていない」と捉えられてしまうかもしれません。でも、僕はこちらにいて肌で感じて、どうもそうは思えません。むしろ、彼らの方がはるかに「現実的に、本気で夢を追っている」と思えます。


現実的に夢を追う、ということは、現実的に夢をあきらめる、という考えとは対極にある考え方です。


では、なぜ「現実的に」生活をした上で、「現実的に」夢を追うという二つの考え方を同時に持つことが許されないのでしょうか。


日本にいた頃は、それが当り前で、常識でした。疑いもしませんでした。「現実的に生活すること」と「夢を追うこと」は同時にできないんだ、と。そう信じ込んでいました。


ただ、今はそれは甚だ疑問でしょうがありません。


その二律背反の中で、僕らはその一見矛盾した考えを共存させることができるのではないでしょうか。


無論、そこには日本独特の風習や価値観、理念、道徳観が深く関わっていると思います。しかしその考察はまたの機会です。


今度は、その「アマチュア選手」が、一体そのアマチュア選手生活でどんな経歴を辿るのか。


そこに焦点を当てて話を展開させて行ってみたいと思います。