昨日発売のNumber766号(11/25)に掲載された、
宇都宮直子さんのコラムです。

目新しい情報というのは書かれていませんが、残しますね。


浅田真央「瓦解」の意味と次世代の躍進
 2010年10月23日、名古屋日本ガイシアリーナ。リンクでは表彰式が行われている。
 2010-2011シーズンのグランプリシリーズ初戦、NHK杯は女子の試合を終えたばかりだった。
 山田満知子コーチは、関係者席の前に立って、それを見ている。嬉しそうにも、喜んでいるようにも見えない。
 表彰台には、山田が指導する村上佳菜子が立っている。3番目の台だ。銅メダルを受け取った。
 この試合の金メダリストは、昨季のヨーロッパチャンピオン、カロリーナ・コストナー(イタリア)で、銀メダリストは昨季のアメリカチャンピオン、レイチェル・フラットである。
 村上も'10年の世界チャンピオンだが、それはジュニアでの話だった。彼女は昨日のショートプログラムで、シニアグランプリデビューをし、今日のフリーを終え、表彰台に上っている。
 それは間違いなく快挙だった。
 バンクーバーオリンピックの金メダリスト、キム・ヨナもデビュー戦は3位で、そこから女王への階段を登っていった。当たり前のような顔をして、平然と。
 だから、山田は喜んでもよかったし、もっと興奮していてもよかった。でも、彼女はちょっと苦い顔をして言う。
『少しもおめでたくないわ。だって、ひどかったもの、フリー。私の中では今日は20点。リンクに出て行く時から、ガチガチに緊張していて、足がまったく動いていなかった。ぜんぜん喜べない」
 3番です、銅メダルですと重ねても、
「私が順位より演技の内容を重視すること、知っているでしょう?」
と山田は言った。
 とにかく、本当に、彼女は嬉しくなかったのだ。


 この日、ドラマはもうひとつあった、
 バンクーバーオリンピック銀メダリストで、'10年の世界チャンピオンでもある浅田真央の惨敗である。
 浅田の本来の力からすれば、この試合に勝つのはそう難しくなかっただろう。少なくとも133.40という得点、8位という結果はありえなかった。
 浅田はオリンピックが終わったあと、メダリストらしい忙しさの中にいた。テレビ出演やコマーシャル撮影も多かったし、雑誌などの取材も多かった。
 さらにスケートを離れた時間も大事にした。当然だろう、彼女はそれまでの4年間をほとんどスケートに費やしてきた。休息は必要だった。
 浅田はオリンピックの前年から、とても疲れていた。周囲にはバンクーバーまで心が持つかどうかを案じる声さえあった。そんな状態で、彼女は戦いぬいてきたのである。

 ただし、今季に関して言えば、著しく出遅れた。まず、コーチが決まらなかった。
 浅田の負けず嫌いはそうとうなものである。どんな場面でも、自分の負けを許さない。だから、過去にあったコーチ不在時には、
「コーチがいないから、駄目だったと言われたくない」
 と言い、ひとり黙々と練習を重ねた。
 ひとりであっても、彼女は強かった。膨大な練習量を支えに、いくつかの試合で勝った。ラファエル・アルトゥニアンコーチがいないときも、タチアナ・タラソワコーチがいないときも、勝った。
 しかし、結果的にそれがよかったのかどうか。
 ひとりでの練習は、自らの感覚に頼る状況になる。偏った練習になるのも否めないだろう。
 
 ここ数年、浅田のジャンプには、ある種のクセが見受けられた。シニアデビューした当時と比べ、スピードや飛距離が落ちていた。
 フィギュアスケートは、孤独なスポーツである。集中を高め、自分自身を追い込み、技の精度を上げていくには、経験と知識を兼ね備えた「他者の目」がどうしても必要なのである。
 事実、タラソワと一緒になってから、浅田はそれまでと違う表現を手に入れた。
 彼女は浅田に、「鐘」という作品をオリンピックで踊らせた。浅田の個性とはまったく異なる楽曲で、あえて勝負したのである。
 私は、あの難解なプログラムが、浅田の初めてのオリンピックにふさわしかったとは思っていない。
 しかし、その演技自体は素晴らしかった。「鐘」が抱える世界は、間違いなく新しい境地を開き、浅田の持つ可能性をさらに広げたのである。
 相性の問題はあるが、コーチの存在は大きい。必要だと思う。たとえ、高い能力を有する選手であっても。

 ジャンプを立て直すためにバンクーバーオリンピックのあと、浅田はタラソワとの契約を解消し、ジャンプ専属という形で、長久保コーチに短期間、指導を受ける。今年の6月のことである。そして、9月には新しい指導者として、佐藤信夫コーチを迎え、本格的なジャンプの矯正に取り組み始めた。6種類あるすべてのジャンプをだ。
ジャンプの見直し、たいへんな努力が求められる。故障の心配もある。長い時間を要する。
 また矯正は、それまで跳べていたジャンプを壊す結果にも繋がりかねない。選手には勇気と今季のいる作業であろう。
 しかし、それでも、選手は正しくジャンプを跳ぶための努力を惜しまない。なぜか。苦労は報われると知っているからである。
 正しいジャンプは、高い得点となって返ってくる。使える種類が増えれば、多彩な構成で試合に臨めるようになる。

常に挑戦し、苦しみ、
そして何度か涙してきた。


 浅田は現在、まさにその取り組みの中にいる、
 誤解を恐れずに言えば、NHK杯の惨敗は、ある意味当然だったろう。浅田には決定的に時間が足りなかった。
 6月からのジャンプ矯正が、10月の今季初戦に間に合うわけがない。それは浅田自身がいちばん理解していたと思う。
 しかし、彼女はそれを口にしなかった。
 世界チャンピオンである浅田には、大きな期待が寄せられている。ジャンプが跳べないと、どうして言えるだろうか。
 だから、彼女は苦しんだ。無類の負けず嫌いゆえ口には出さないが、思い悩んだのは想像に難くない。
 浅田の前には常に挑戦がある。そして、その過程で、いつも何度か泣くのだ。


 浅田の今シーズンは、22日のショートプログラム「タンゴ(振り付け、タチアナ・タラソワ)で始まった。
 厳しい試合になるのはわかっていた。浅田はスロースターターだったし、トリプルアクセルも、まだ間に合わないだろうと思っていた。
 しかし、浅田の演技は予想をはるかに超えて悪かった。
 彼女は予定したようにはまるで滑れなかった。3階のジャンプ、すべてが失敗だった。滑り終えた後は下を向いた。悲しそうな顔をしていた。ショートの得点は47.95。
 おかしな言い方だが、この最低きわまりない結果を私は評価する。
 エッジの矯正、ジャンプの習得は、ソチを目指す浅田に必要不可欠である。どんなに「自己ワースト」が続こうと怯むべきではない。むしろ、取り組みが遅すぎたくらいだ。
 23日のフリープログラムに際し、浅田はこう思っていた。
「入っている要素を決めないと、何も始まらない」
 だが、この日、彼女は何も始められなかった。ショートの悪夢は繰り返される。
 フリー使用曲は「愛の夢(振り付け、ローリー・ニコル)。浅田が、
「滑っていて気持ちがいい。無理して作るのではなく、真央の中にあるものという感じ。すごく気に入っている」
と話すプログラムだ。
 彼女は「愛の夢」に自らの思いを込めようと考えていた。たとえば、ある時期、胸に秘めたときめきのようなもの。
「それは恋?」尋ねると、浅田は短く、はっきり、
「うん、恋」
と答えた。

 そんな思いを織り込んだプログラムを、浅田が自由に表現出来たらどんなによかっただろう。
 ひとつひとつの所作は美しかった。しかし、ジャンプはことごとく失敗した。ショートより悪かった。
 冒頭に持ってきたトリプルアクセルは、1回転すらできなかった。転倒も2度した。スピードもなかった。浅田らしさは、欠片もなかった。
 フリーの得点、85.45。むろん、得点、順位とも自己ワーストである。
 この結果に浅田は当然傷ついたろう。彼女はどんなときも、パーフェクトを目標にしているし、それを叶えようと練習を重ねてきたのだから。
 試合後、多くの記者に囲まれ、絞り出すような声で言った。
「ジャンプを立て直そうとしているのですが、まだ完璧に自分のものになっていない。それが(不調の)原因だと思います」

 浅田真央はやるべきことをやっている。
「昨日」を壊しても、作らなければならない「明日」が、彼女にはある。8位はその過程に過ぎない。それだけだ。

 表彰式は続いている。
 銅メダルを首にかけた村上佳菜子は、透明な、愛らしい笑顔で、上ってゆく「日の丸」を見ている、国家は聞こえないけれど、それは彼女があげた国旗だ。
 フリーの内容が、もし「20点」であったとしても、彼女は最高に近いデビューを果たした。日本の次世代の力を、自身の才能を、しっかりと世界に示した。
「トリプルトリプルは自信があったので、大丈夫でした。でも、そのあと、逆に緊張してしまって、いい演技ができなかった。
 内容に満足はしてませんが、表彰台に乗れてよかったと思います。いろんなことが勉強できて、すごく楽しかったです。
 次はもっともっと練習して、見に来てくれる人に『よくなった』と思ってもらえるように頑張りたいです」
 そういう演技ができたら、山田はとても喜ぶだろう。幸せになるだろう。そして、それこそが村上の望む幸せの形でもある。
 村上はいつも考えている。山田への感謝を伝えたい。恩を返したい。 
 そのための日々が始まった。名古屋から、まだ遠いソチを見つめて。


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うーん・・・。

という内容らしいと言うことは聞いていた。
読んでみたらやっぱり「うーん・・・」だった。

ところどころ、「え」と思う部分があるから。
まず、キムヨナの話は余計だろうと思うし(「当たり前のような顔をして、平然と」といいう部分はイヤミなのかもしれないけど)
タラソワさんとの関係を解消したのはジャンプを立て直すためではないし、
なんか、ちょっとずつだけどところどころに違和感がある。

宇都宮さんだからもっと優しい文を期待したのだけど、
宇都宮さんだからこそこうなったのか?

よくわからん。。



「恋」
してる?