以前から何度かブログに登場している大分の友人。

エイミー好きの彼女と久しぶりの電話をした。

やはり話題はエイミーになる。


『彼氏だか 元彼だか知らんが、脱いだじゃん?』

彼女がそう言った。

自分には全く興味のない話で 知りもしなかった。

それにその事実は 電話で会話する自分たちにとって

正直、どうでもよい話であるのは暗黙的了解だった。


時を同じくして、雑誌に身体を披露した二人が

未だ付き合っているのかはわからないけれど、

エイミーが好きになる男性は これからも間違いなく

このようなステータスを持った男性なのだ。

言い方が悪いが、いまのエイミーは

そういう男性しか 目に入らない。

それは好みなのだから、全く否定するつもりもない。

でも、エイミーのメンタルが欲しているものは

そういう男性があまり保有していない類いスキル。

出逢うことすら困難な希少種を追い求めているのが

エイミーなんだと思う。


この話を聞いて、電話の向こうの彼女はこう言った。

『君たち、合わせ鏡だからな』

物事の真意を何よりも大切にする彼女は 以前から、

エイミーの病み加減と俺の拗らせ加減を比べては

ふたりを 双子という言葉で表す。

大概の物事を器用にこなしてしまえるところ、

器用にこなしすぎてかえって身が不自由なことろが、

似てるかもと自分でも思う。

針の穴に糸を通すようなレベルの

絶滅危惧種でない限り 君は納得できないから

君は結婚を拗らせてる

と彼女に言われて続けてきた。

確かにその通りだ。


続けて彼女が言った。

『器用貧乏は結果や過程であって、
         君たちの終点目的地ではないだろう?』


少し目が覚めた。

それに万が一、自分がエイミーと合わせ鏡だとしたら

自分を考えれば、エイミーの境地も感じられる。

ちょっと発想が変態だけれど、

とてもシンプルで、大切なことのように思えた。



自分の終点。目的地。


守るもののために不自由になること。

つまり、

大切なひとの明日のために自分を使うこということ。



エイミー、応援してます