☆barbarianism☆

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ばーばりあんの生活からネタ探しするブログ。

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生きていて楽しいと思えるひとの秘訣。


自分に自身を持ち続けること。


でもどうやって?


自分の心の拠りどころに身を委ねることで、自分の存在価値を認識する。ひとによって心の拠りどころは異なる。例えば、宗教家なら信仰、成金なら金。ただ、それがぶれないことが大事。


ここからわかるのは、自信があるからといってそのひとの人生が自分自身にとっても価値があるとは限らないこと。


自信を持って自分勝手にでよいから、信じるものに身を任すことが人生を楽しむ秘訣なのかな?


翻って、不安を感じながら生きるひとは他人に見られる自分を意識して生きている。


どうしても自分の生き様や姿に自信が持てないひとが多いのかも。


そういうひとには、仲間が必要。自分の考える生き方に共感をしてくれるひとならば、受け入れることができる。とにかく肯定してもらえなければ嫌悪感を抱いてしまう。
昨今の社会状況について、これも手帳のメモを書き写す。(何かの本から抜粋したものか?)

現在の社会状況において必要になること:

① 膨大な情報量の中でSpeedyな意志決定。

② 不確実性への感応度を高めること。

③ 多様なNeedsに多様に応える体制。

④ 標準化された仕事の単位を下げること。
何かの雑誌か本で読んだことを手帳にメモしてあったので、整理する意味で書き記す。


「管理」といっても今回は管理職について。


管理職に求められる仕事が、今昔で変化してきているという話だ。


昔⇒先頭に立って指示・命令し、統制をとる。(オペレーション型)

今⇒チームにミッションを共有させ、動機付けをし、サポートする。(サポート型)


昔は、管理職が部下に自分の成功例を引き合いに出し、オペレーション(仕事の仕方)を事細かに伝授した。

これにより、部下が年月を経て管理職の立場にたった時、部下の仕事の失敗の原因としてオペレーションに目がいってしまい、企画の全体像より部分的なことに注目する。

それでは、部下が自分で考えることや工夫することがなくなり、成長しない。これは、上司としてよい例ではない。

今は、部下に比較的自由に仕事をさせ、裏方として部下を支援する上司が増えた。

そのぶん社員は自分で考える力が必要となり、プロアクティブな人間こそ生き残っていける職場になってくると考えられる。
プロアクティブ。

スキンケアcmでよく聞く名前だけど、英語での意味は「自ら動いて物事を進めていく」といったもの。

たぶん、スキンケアして自分に自信を持つことで活力が出るといった意味合いが込められていると予測できる。


なにか行動を起こすときにプロアクティブになれることは、ビジネスの世界でも重要視されている。


就職活動中に「挑戦する力」や「チャレンジ精神」を魅力とする企業や学生が多いことからも、プロアクティブが今後の自分にとってキーワードとなってくると思う。


これに対峙するかのように「リアクティブ」という言葉がある。つまり、ものごとや指示があったうえで、ようやくリアクションを起こす受動的な姿勢のことだ。


これに慣れてしまうと先見性がなくなるし、いろんな機会をみすみす取り逃してしまうこととなる。


仕事は、合理的で論理的なだけではうまくいかないのが現状。
それはひとと行うものであり、需要も供給も人間から発っせられるものだから、ひとの心を動かす必要がある。


ではひとの心は動かそうと思って簡単に動かせることが出来るのか?


答えは、「出来る」だとおもう。


リアクティブ(受動的)に立ち振る舞うひとには、何かをやってくれるという期待感がない。そういうひとには、魅力を感じなくなる。一緒に居たくなくなる。職場においてもそういうひとは士気を低下させる原因となる。


比べて、プロアクティブなひとは多少の失敗があっても、何かしでかす期待感がある。一緒にいて楽しいと思える。裏切られるという疑心が晴れる。


出来るか不安でもとにかくやってみるだけでひとの心を動かし、自身をも成長させる。
プロアクティブさが、様々な経験をもたらし、ひととの輪を大きくし、魅力的な人間として周囲に受け入れられることとなると思われる。
注意:個人的なメモ用に書きますが敢えて公開しておきます。


年末年始も近づき、実家に帰ってきたのだが、久々の実家はとても寂しい感じがする。東京という雑踏とした街での暮らしも4年目を迎えたため、田舎がしょぼくれて見えるのは仕方がない。しかし、どうやらそれだけが原因ではないようだ。

幼かったころは、時間の許す限りに野山を駆け巡り、小さな石ころですら遊び道具にして楽しんでいた。だが、今となれば家の中でパソコンやテレビと向かい合うのが日常となっている。

家の中が大きく変化することもなく、宅内で過ごす時間が増え、物足りなくなっただけのようだ。

外に出ることが億劫になっているのは、自分だけではない。先日、妹が友人を連れてスノボ旅行に行ったが、そのゲレンデでも中高年世代が大半を占めるようになったらしく、若年層の引き籠もり度が加速する傾向にある。

このままいけば、(”このまま”行くことがないのが世の常だが。)自宅内の設備や機器に、より高い質を求めることとなるのではないだろうか。環境性能なども伴い、エアコンから電球、コンロまでありとあらゆるものの技術発展が続いてはいる。シンプル化され、使い勝手も良くなったが、なんでもすぐにできてしまうとつまらなくなる。ましてや、時間が余るようになると余計にものごとがつまらない。そんなにしたいことが多いわけではないのだから。

ただシンプル化していくより、珈琲を入れるときに珈琲ミルを使うような少し手間がかかっても、凝ったために満足が得られるものに惹かれ出す時期が来るのではと思う。事実、料理教室に通う男が増え、凝った料理を自分で作り、自分で食べ、自己満足を得ているひとが増えているという。


世の中が便利になりすぎている今、本当に味のあるものを求め、少し時代を逆行する輩が増えてほしいと少し願っている自分がいる。



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