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 時は戻って紀元1世紀、イスラエル。


 ハサトがジョグリに寄って来て興奮気味に言った。


「あの男だ。あの男がイスラエルの救世主(メシア)だ。僕たちの計算は合っていたんだ。異邦人たちめ、見ていろよ。イスラエルは、ローマ帝国の圧政から自由にされて、ダビデ王やソロモン王の治世の栄光を取り戻すだろう。ジョグリ、あの男が軍隊を編成したら、真っ先に入隊しよう。」


「でも、あの預言には、もっと壮大なことが関係しているんじゃないのか。僕らが諳(そら)んじて言えるあの預言、僕らの祖父、アブラハムに対する神の約束はこうだ。


『私は確かにあなたを祝福し、あなたの胤(たね)を確かに殖やして天の星のように、海辺の砂の粒のようにする。あなたの胤はその敵の門を手に入れるであろう。そして、あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう。』」


「では、彼は何を成し遂げると考えているんだい、ジョグリ。」


「わからない。」






 ジョグリは、ハサトが去った後も、しばらく考えていた。

 美しい自分の故郷―。そこに夕日が沈むのをジョグリは見つめていた。

 

 あの美しい園で、アダムが神の敵に回ってから人類は囚われの身になった―。

 

 イスラエルをローマから独立させる―、あのマカベア家のように?

 どのようにして、救世主(メシア)は人間をまことの神の元に戻すのか―。

 病める人類―、その中で選ばれた神の選民、ヘブライの民―。神の友であったアブラハムの子孫であったが故に自分たちが得た恩恵―。その中に現れ出ることになっている救世主(メシア)。


 

 

 彼の果たすことになっている使命が軍隊を組織して、イスラエルを独立させることだけということがあるだろうか。

 






[脚注]


 しばしば、「十字架」と誤訳されるギリシャ語聖書(もしくは新約聖書とも呼ばれる)本文中の単語"スタウロス"の意味について,W・E・バイン著,「新約聖書用語解説辞典」(An Expository Dictionary of New Testament Words,1966年再版,第1巻,256ページ)はこのように述べている。


スタウロス(σταυρός)は主としてまっすぐな杭を指す。それに犯罪人は処刑のためくぎづけにされた。この名詞も,杭に留めるという意味の動詞スタウロオーも,元々は,教会の用いている2本の梁材を十字に組み合わせた形とは区別されていた。後者の形は古代カルデアにその起源を有し,同国およびエジプトを含む隣接した国々において,タンムズ神の象徴(その名の最初の文字で,神秘的意味の付されたタウの形)として用いられた。西暦3世紀の半ばまでに,諸教会はキリスト教の幾つかの教理から逸脱するか,それをこっけいなものにしてしまった。背教した教会制度の威信を高めるため,異教徒が,信仰による再生なしに教会に受け入れられた。それらの者には異教の印や象徴を引き続き用いることが大幅に認められた。こうして,タウつまりTがキリストの十字架を表わすのに用いられるようになり,多くの場合に横棒を下にずらした形が使われた」。







                        

 

 まことの神とミカエルは地を見つめていた。

 

 「”蛇”は、自分の時の短いことを知って、その”蛙”を遣わすことに躍起になっている。


 

 見よ、お前の名を語りながら、その手で不義を行う者たちの何と多いことか。


 さあ、不義を行なっている者たちの偽善を剥ぎ取り、その正体を明らかにし、致命的な傷を与えようではないか。


 そして、我々が選んだ者たちに真実の言葉を与えよう。


 わたしの霊は彼らの内で燃える炎のようになり、彼らを駆り立て一切の恐れを取り払うように。


 

 売春婦たちよ、お前たちが”伝統”がないと蔑(さげす)んでいる者たち、その者たちに栄光を与えよう。


 お前たちは神の言葉という神聖な飲み物を水で薄め、探求者たちに混ぜ物の入った劣悪な酒を与えているではないか。

 

 

 お前たちの”伝統がある”とは何か。


 神のおきてよりも人間の伝統を重んじているではないか。


 あの者たち、キリストを死に処した者たちもまた、神の言葉よりも人間の伝統を重んじていたのだ。


 あの者たちは当初、モーセが受けた律法に、様々な伝統をこしらえてくっつけ、おきてを複雑なものとし、民を虐(しいた)げていた。


 今や、お前たちは、簡潔明快であった”書”の真理をお前たちの教えによって難解なものにしているではないか。


 どのような権限があって、お前たちは”書”に付け加えたりしているのか。


 

 ”クリスマス”とは何なのだ。


 商人たちを儲けさせているだけではないか。


 それは、元々、異教の太陽神サトゥルヌスの誕生祭であったものではないか。




 ”教皇”とは何なのだ。


 主の臨在(りんざい)を待つことを忘れてしまった僭越(せんえつ)な者たちよ。


 お前たちは、キリストを差し置いて、自分たちの選んだ人間をすえ、自分たちの帝国を築こうとでもしているのか。


 ”書”には、こう書かれているのを、読んだことがないのか。


 『地上の誰をも父と呼んではなりません。


  あなた方の父は唯(ただ)一人、天におられる方だからです。


  また、”指導者”と呼ばれてもなりません。


  あなた方の指導者はキリスト一人だからです。


  あなた方の間で一番偉い者は、あなた方の奉仕者でなければなりません。


  誰でも自分を高める者は低くされ、誰でも自分を低くする者は高められるのです。』




 ”十字架”とは何か。お前たちは此(こ)れを何処(どこ)から借りてきて持ち込んだのか。


 此(こ)れは、異教の男根崇拝の象徴ではないか。


 このような悪趣味なものなど、わたしは”書”に記させた覚えはない。


 ”書”を勝手に変えている者たちは誰なのか。



 

 知られないで終わる秘密はないのだ。」




「厭(いと)うべき事柄を習わしにする者、それらの者たちは光を憎んで光に来ません。

 

 しかし、真実を行なう者は光に来て、自分の業が神に従ってなされていることが明らかになるようにするでしょう。」


 

「この巻物の預言の言葉を封じてはならない。


 定められた時が近いからである。


 不義を行なっている者、その者はいよいよ不義を行なうように。


 不潔な者は、いよいよ不潔になるように。


 しかし、義なる者はいよいよ義を行ない、聖なる者はいよいよ聖なる者となるように。」




「誰が真(まこと)の神のようであろうか。」


 天の軍勢の君、ミカエルが、その名の意味するところを述べた。


 そして、彼は地上にいる彼の兵士たち、アムハーアーレツ(ヘブライ語で地の人の意)をも動かすために出て行った。


 彼らは、すべてを食い尽くす”蝗(いなご)”とも呼ばれている。


 その”蝗(いなご)”について、”書”はこう述べている。


「それらには、権威が与えられた。


 地のさそりが持つのと同じ権威である。


 そして、地の草木を、またどんな緑のものも、どんな樹木をも損なわないように、ただ、額(ひたい)に神の証印のない人々だけを損なうようにと告げられた。」





[脚注]


 十字架は、元々タンムズ崇拝の象徴である。

 新約聖書本文(ほんもん)―ギリシャ語―に十字架を表す語は出てこない。ギリシャ語で杭を表す「スタウロス」や「クシュロン」が、”キリスト教”にタンムズ崇拝が持ち込まれた後に、「十字架」と訳されるようになった。



[参考文献:マタイによる福音書23章9-12節、ヨハネによる福音書3章19-21節、ヨハネに与えられた黙示録22章10,11節、ヨハネに与えられた黙示録9章]