石巻女川の被災地を見て | バラキチ夫婦の庭

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つるバラ中心の約200種類のバラに囲まれたガーデンとミニチュアダックスのブログです。バラと宿根草や一年草、クレマチスでのナチュラルガーデン造り、モルタル造形とD IYの手作りのガーデンです。バラをこよなく愛しています。

仙台からの帰りの新幹線に乗ってます。
昨日着いてから昼食に牛タンを食べた後(写真を撮るのを忘れていました)
バスに乗って石巻女川の被災地を視察して来ました。
関東では最近あまり被災地の近況は報道されず、復興予算の使途がどうだとかのことばかりが出ていますが、実際には被災地の復興はほとんど進んでいないのが現状です。
仙台近郊はほとんど被災したことすらわからないようですが、ちょっと離れるといまだにブルーシートがかかったままの家や窓ガラスのないままになっている学校、ガレキの山をみると胸が痛みます。原発反対も米軍基地反対もそれに関わる人の仕事がなくなっていることを分かっているのでしょうか?
テレビでしか見たことのない場面、怒りのやり場のない真実がそこにはありました。
今日も東北支店会議に出席しましたが、現地の人たちは悲しくて被災地や海の近くに寄ることはあまりしないそうです。

紅白歌合戦で長渕剛が復興ライブを中継した石巻の献花台

ここには6.9mもの津波が押し寄せて大勢の命を奪っていったそうです。

すぐそばには教頭先生の機転で生徒全員が裏山に登って一人の被害もなく助かった小学校もありましたが、近所の住民はこの学校にたどり着いた所で流れてきた重油の炎に包まれてなくなったそうです。

続いて女川に着きましたが、こちらはもっと悲惨な状態で町ごとなくなって更地になっていました。

中村雅俊の出身地なので
この垂れ幕がかかっています。
「女川の街は俺たちが守る」中村雅俊

ガイドさんの案内で見たところはガレキの山、山、山

高台にたくさんの仮設住宅と町役場や消防署がこれも仮設で建っていました。
震災が起こった直後には自分も含めてたくさんの方が支援のために募金をしましたが、それすらも一般の被災者には届いていません。
阪神大震災の3倍もの人々が亡くなって、しかも震災から1年7ヶ月経っているのにまだガレキすら片付いていないのをみると、自分たちにもまだまだ出来る事はあるんじゃないか、この現実を忘れることなく仕事上でも復興支援の後押しをしていくぞと誓った今回の出張でした。
写真を撮ったのですが、どうしても入れる事ができませんでした。こんな事は初めてですが、石巻の献花台の付近にある橋も大勢が幽霊を見るので、夜間通行止めになっています。
写真も霊が拒んでいるのでしょうね。
今回は文章だけでお届けしました。