一人称を表す言葉はいくつもある。
日本語だけではなく外国語も含めると、多分相当な数になるんじゃないだろうか。
予想だがどんな言葉にも一人称というものは存在するような気がする。もしかしたら動物の間にも言葉ではないが一人称が存在するかもしれない。
人がこの言葉を使うときは、意識にあがってるかどうかわからないけど、どこかしら自分をアピールしてるんじゃないかと思う。
この世界に誰もいなかったらきっと「僕」なんて言葉は存在しないだろう。
だから僕は人間を自己主張する生き物だと認識している。
D・カーネギー著「人を動かす」に『他人に重要感を持たせる』というフレーズが出てくる。
人間は皆、自分が重要でありたいのだ。
それはすなわちこの世界において自分だけの居場所を作ることに他ならない。
僕は事実、高校まで部活に熱中し、恋愛もそこそこ経験し、受験に向けて勉強して…おそらく多くの人が通るであろう学生生活を送ってきたはずだ。そのころから僕はアイデンティティを感じることはできなかった。
僕と付き合う女の子は僕じゃなくてもいいんじゃないか?そんな風に思ったりもした。
他人より優れている点なんて特にない。外見も至って平凡。金持ちでもないし、こういうこと考えてる段階で結構卑屈なんじゃないかと自己嫌悪をしたりした。
大学に入ってからはひたすら個性を磨いた。
個性がないならむりやりにでも作ったような気がする。
色んなことに葛藤しながら、僕を慕ってくれる者もいた。逆に離れて行く者もいた。
すごく、すごく好きな人もいて、お互い好きになれたけど、結局だめになったりもした。
自分が自分らしくあるためにはそれなりに犠牲も必要だったようだ。
社会に出るにあたり、周りは大企業へ就職する為に躍起になっていた。
僕はそういう気にはなれなかった。大企業に入ると今まで育ててきた「個」が潰れてしまいそうで、また我を通せる自信もなかったんだと思う。
起業という道も考えた。
しかしこちらも自信がなかった。というより、何をやりたいかわからない。
迷いながらとりあえず就職した。
仕事には情熱を注いだ。しかし、その会社は倒産した。
経営者に問題があったのだ。
そこから無職という自分と向き合うことになった。
仕事というレッテルをはがされた僕という自分は、この社会に必要のない人間になってしまったように感じた。
就職する際に履歴書を書く。
今までの人生を紙一枚にまとめると、余計薄っぺらく感じた。
劣等感が僕を勉強と読書に向かわせた。
今まで生きてきた中で、一番必死になった期間だと思う。
様々な本を読んでいく中で、一つの活路を見出すことができた。
それは起業するということ。
来週から就職することになっているのだが・・・
起業の内容に関してはまだ言及はできないけど、形になったら報告するつもり。
この起業にこそ自分が自分である為の答えがあると思う。
一応誤解のないように言うけど、今度就職する企業の仕事はきっちりこなして自分というブランドの確固たる土台をを作る!!
こちらでも他人に認められたいから。
これからは60億分の一じゃなくて、一人の人間として世間に認知してもらえるように活動をしようと。
自分の名前を世界に、まずは日本に轟かせるように。
もしこのブログと出会った人がいて少しでも興味を持ってくれたなら、あなたは幸運かもしれない。
なんて少し偉そうかもしれないけど、命を懸けて自分の世界と対決する僕を見てください。